ラテ
明け方の薄明かりの中で、雨の流れる音を聞いていた。
寝ぼけた頭は今日が金曜日か月曜日かの区別すらつかず、ただ、寝る前に何となく抱いた悪い予感が消えていないことを感じるのが精一杯だった。
予感は的中した。
携帯が膜のかかった世界から僕を引っ張り出す。着メロは<くまんばちの飛行>。アスカが勝手にダウンロードしたやつだ。
やたらに早いBPMがまさに僕の精神を刺してまわる。バイブレーションの不協和音をプラスしたメロディのあまりの強力さに、僕は呻きながら手を伸ばした。携帯をつかんで枕の下に押し込む。
やがて携帯はコールを留守電送りにし、ほっとしたところでまた鳴った。
「なんだよ……」
「あ、シンジ? 起きてたのね」
僕は相手に聞こえるようにうなった。
「いま何時だよ」
「四時よ。時計もないの?」
相手に少しでも罪悪感を感じて欲しくて、たっぷり置いた間は、意味が無かったようだ。
「わたしが電話してるのよ。起きなさい。黙ってないで」
国連軍空母の甲板で出会ってから七年たった今も、僕は相変わらずアスカに引っ張りまわされている。とにかく今は話だけは聞いておこう。また勝手なことを言い出すに決まっているが、適当に受け流そうと腹をくくった。
「起きなさいよ!」
アスカが頭に響く声で怒鳴った。電話の向こうで、アップテンポの音楽と、笑い声がする。
「酔ってるの?」
「ぜんっぜん! ムカついてそれどころじゃないわ」
またか。と思った。彼女の恋人探しは今のところ、1勝32敗という驚異的な数値を叩き出している。
ようやく1勝してくれて、僕はほっとしていたところだった。その安堵も、彼女がまた夜の街に出かけている。という事実の前に、もろくも崩れた。
「もう少し、大人しくしないとだめだよ」
「なんのことよそれは?」
「だから……初対面の相手に高飛車に出ると……」
「バカ! 死ね! 一生童貞のあんたに言われたくない! 違うわよ」
寝起きにアスカの罵倒は強烈過ぎる。少なくとも、初体験を共有した相手に一生童貞よばわりはされたくない。
泥酔の二歩手前と僕は見積もった。
「あいつよ」と彼女は唯一、1勝した相手の名前を告げた。
「それががどうしたのさ」
「あいつ、やっぱり二股をかけてる」
「そうなの?」
顔をこすりながらベッドに起き上がる。そうなの? とは言ってみたものの、あまり信用していなかった。
僕とアスカとの関係はこれまでに二度、交際と呼べるまでに発展したことがある。
最初は四年前、高校に入ったばかりの頃で、異常な体験を共有した男女の当然の成り行きとして、そうならざるを得なかった。アクション映画で安売りしている心理原則に僕たちも見事に陥ったわけだ。
交際はどうにか一年間続いたものの、ある時、僕が綾波と三日連続で会ったことが原因で破綻した。綾波とは誓ってやましいところなどなかったが、アスカにとっては僕が綾波と会った。という点からして許容範囲外らしかった。
幸い絶交には至らず、ただの友人と呼ぶよりは近い関係が続いた。
次の交際は一年前の僕の誕生日に、アスカが部屋にやってきた日から始まった。改まった告白を交わすでもなく、ただもう酔った勢いでとしか言いようのない再スタートを切ったものの、三ヶ月目の大喧嘩で終わった。
彼女の言う<あたしにふさわしい男探し>はその頃から始まった。
アスカの理想の異性像に最も近いのは相変わらず加地さんらしい。けれどミサトさんと結婚してしまった今では、もう手の届く人ではないし、加地さんが結婚していなかったとしても、アスカが射止められるとは思えなかった。
となると、どんな相手がアスカを満足させるのか。ということになるが、これを見つけるのはほとんど不可能とみて間違いない。
1勝した恋人の愚にもつかない欠点を浴びせられる僕はたまったもんじゃない。
「あいつが、よくわかんない女と一緒に店に入ってきたのよ」
「ふーん」
「それだけじゃない。べたべたしてんのよ。今もあっちの席で……あ!」
「なに?」
その必要があるとも思えないが、アスカは声を潜めて
「女のために注文してやってあげてる」
「それぐらい、当然するだろ」
電話が突然に切れた。ツーツーという信号音が、やけに大きく響く。
何で僕にかけてくるんだ。そう思いながら、携帯を置いた。
やけに意識が冴えてしまい、冷蔵庫からペットボトルを出して一口飲み、雨の様子を見に窓際へ寄った。雨はほとんど止みかけて、東の空が白ばんでいる。
今日は土曜日だ。と僕は思い出した。
ベッドに戻って無理に眠ろうとし、どうにか成功しかけたところで携帯が鳴った。
「あの二人、店を出てからラブホ街に入って行った」
「後を着けたの?」
「まあね。だって見過ごせるわけないでしょ」
ラブホ街でカップルの後をつけていく惣流・アスカ・ラングレー。少し見てみたい気もする。
「で、今はどこにいるの?」
「スタバよ」
「一人で?」
「そう」と妙に神妙な声で答えた。カップを口につけた気配がする。どうせまたラテだろう。彼女はそれしか頼まない。
「シンジ、明日は何してる? どうせ何も予定ないわよね?」
しゃくだったがそのとおりだった。
「夕方、五時ぐらいに東六条に来て」
東六条はアスカの部屋の近くだ。
「作戦会議よ。わたしは帰って寝るわ」
「作戦って? 何の作戦?」
「復讐よ。あいつ、このわたしがいながら……」
「あのな、アスカ。人にはさ――」
ナタで叩き切ったように通話が途切れた。今度の通話切れ電子音は目覚まし時計のハンマーのように僕の神経を叩いた。舌打ちして毛布をかぶったが、ベッドは既によそよそしくなっていた。ごろごろ寝返りを打ち、どうにか眠れそうな体勢を見つけ出した。
*
降ったり止んだりしていた雨が去り、太陽がのぞくと暑くなった。
あまり地味な格好だと、釣り合いが取れなくなることは分かっていたので、そこそこの格好で部屋を出る。
五時に十分遅れて交差点に到着したが、アスカはやっぱり来ていなかった。
電話をかけようと携帯を耳に押し付けたとき、手首をつかまれた。
通りに面した窓に並ぶスツールに席を決め、僕は飲み物を買いに行った。前の客が注文する間に見ると、アスカは通りの反対側の人の流れに眼をやっていた。
ラテで満たされたカップをテーブルに置くと、彼女は耳に指を通し、持ち上げる前に言った。
「どうしてやろうかしら」
僕は、そもそも、アスカの1勝の真偽のほどを疑っていた。彼女の場合、ただの勘違いという可能性が十分にある。容姿は超優良だから近づいてくる男は多いだろう。ただ、いざ付き合いが本格的になろうとすると、相手側に同情したくなる態度を取ってしまう。当然、相手は愛想をつかして離れていく。
だから、1勝の真偽を疑う余地は十二分にあった。
「本当にその人と付き合ってたの?」
「付き合ってたわよ」意地になって言った。「彼の部屋まで行ったわ」
僕は驚いたが、それをアスカに見せたいとは思わなかった。
「そうなんだ」
「あんたは思ったより冷たいわね。わたしが遊ばれていたと知って何とも思わないわけ?」
「状況によりけり。じゃあ、その、そういう行為も、あった?」
「ベッドまでは何度も行ったわ。それだけよ。わたしとやりたかったら、ちゃんとそうお願いすべきなのよ」
僕は相手の男に心の底から同情しつつ抹茶ラテを口に含む。
「ところで、その二人が、ホテルに入るところまで確認したの?」
アスカはカップを両手で持ち、痛いところを突かれた。とでも言いたげに、僕を見ながら小さく唇をつけた。
「してない」
「それじゃあ、浮気の証拠になんないよ」
「朝の四時に、店を出て、ラブホ街を歩く人に、他にどんな目的があるのか、言ってみてよ」
「カップルの後を着けるような人がいるよ」
うまいことを言えたと思ったが、アスカはちっとも気に入らなかった。カップを置くと、勢いよく僕に顔を近づけた。
「わたしを変態あつかいすんの!?」
近くで見ると、彼女の顔が完全無欠の造りであることが改めて確認できた。今日は清楚なお嬢様という格好をしていたが、話題の方はそれとは程遠かった。
「やったの、やったにきまってる」
僕はその論議は打ち切ることにした。
「それで、浮気していたとして、どうするつもりなのさ」
「何とかして、思い知らせてやるのよ。このわたしを甘く見るとどうなるのか、教えてやるわ」
「どうやって?」
「それを考えるのはシンジの役目」
「そんなこと言われても何も思いつかないよ。ひとまず、その人が本当に浮気してるのかどうか、確かめる方が先決なんじゃない?」
アスカは視線を通りに逃がして、カップの縁を指でなぞった。
「しょうがないわね」
そして半分残ったラテに大量の砂糖を投入してかきまわす。
「明日から、一緒に見張るわよ」
*
僕たちは公園の花壇に沿って設置されたベンチに腰掛けて、遠くにいる恋人が携帯をいじるのを見つめた。
夕闇に溶けかけた噴水の周りをジョギングするおじさん。夏の日盛りの気配をわずかに止めた木陰にビーグル犬が二匹、尻尾を振りながら寝そべっている。
僕があくびをすると、アスカに肘でわき腹をつつかれた。今日は変装のため、と称して髪をスプレーで黒くして、ポニーテールにしている。
「真面目にやんなさい」
「もう一週間も、こんなことを続けてるよ。もう最初の目的もよく覚えてない」
「あの男に復讐してやんの」
いまでもなお、アスカは浮気されたと信じていて、彼との連絡を断ってしまっていた。その時点で、すでに関係は終わっていると思う。
何度も一緒のベッドに入っていながら、一度もさせなかったんじゃ自業自得だろ。とはいえない。今はただ、彼女の気がおさまるのを待つしかなかった。
今日は晩メシを作っていってあげるから、そろそろ帰ろう。そう提案しようとしたとき、アスカが急に耳元で言った。
「来たわ」
恋人のところに女が走り寄ってきて、隣に座った。暗がりの中で顔は見分けられないが、アスカに劣らず美人であることは雰囲気でわかる。
その二人は慣れた様子でキスをし、会話を始めた。
僕たちは思わず立ち上がった。
「ほら! 現場を押さえたわよ。何か言うことは?」
「うーん」
「さあ、これで言い逃れできないわよ。早く行って」
なんのことだと僕は言った。
「あいつにびしっと言ってやりなさいよ。あんた男でしょ」
アスカが背中を押す。
「そっちが行けよ。アスカの恋人だろ」
アスカが僕の手を払う。
「逆上して襲ってきたりしたらどうするのよ」
「じゃあ一緒に行ってあげるよ」
僕は彼女の二の腕をつかんだ。
「いやよ」と振りほどく。「早く、行っちゃう」
僕はアスカの体を押した、押し合いへし合いが始まる。そのうちにカップルは手をつないで公園を出て行ってしまった。
*
「絶対に許せないわ」
「その、きっと悪気はなかったんじゃないかな」
「あいつを擁護する気?」
アスカはすごい剣幕で僕を睨んだ。すっかり夜になった街は暑さが和らいで、肌に心地よい風が吹いている。
「そんなことないけど。変に事を荒立てない方が……」
アスカは交差点の信号が変わるまでの間に何かを考え、青になると横断歩道を渡らずに僕の手を引っ張った。
「よく考えたら、まだ復讐が終わってない」
「何をする気?」
「これがある」
振り返りざまに鞄に手を突っ込んだ。再び現れた手には鍵が握られていた。合鍵だろう。彼氏はとんでもないものを、とんでもない人間に預けてしまったものだ。
「放火はだめだよ。部屋に罪はないよ」
「しないわよ。部屋に置いてきたものを取り戻しに行くわ。それから鍵も返す。あとはちょっぴりいたずらするぐらいよ」
「本当だよね?」
「本当よ」
僕はアスカが火を放たないかどうか、見張る必要があると覚悟を決めた。
僕たちは電車に乗って二つとなりの駅まで行き、人通りの薄い道を通って病院の駐車場の裏にあるマンションの前にたどり着いた。
「二階よ」
アスカはエントランスの自動扉をくぐると、エレベーターは使わずに階段を目指した。
その部屋の明かりは消えていた。黒い頑丈な扉のネームプレートには何も書かれておらず、模擬レンガにインターフォンが埋め込まれている。裕福な社会人でなければ、こんな場所には住めないだろう。
「乗り込むわよ」
アスカはエヴァに乗っていた時代を思わせる口調で言って、鍵を錠に差し込んでひねった。
中は真っ暗だった。アスカが手探りで明かりをつけると、想像以上にいい部屋だった。きちんと整理されているし、家具には金がかかっている。フローリングにはちりひとつない。
アスカは怒っていても、玄関で靴を脱ぐ礼儀は忘れずにいてくれた。僕はずんずん奥へと進む彼女を尻目に、彼女のミュールをきちんと揃えた。
「お邪魔します」
足音を立てないように部屋に上がった。すぐにキッチンがあり、シンクには浄水器と炊飯ジャーとポットが並んでいる。棚には泡盛と焼酎の壜がしまってあった。
奥の部屋でアスカが動く物音がする。半開きのドアから覗くと、アスカが木目のクローゼットを開けてごそごそやっているのが見えた。
部屋をホテルのように見せるのが、相手の趣味らしかった。生活感は薄く、深緑のソファの前に壁掛けテレビと、大きめのアンプがあった。テレビボードにはDVDのケースが並んでいる。隅に何かのトロフィーが飾ってあった。
ダブルのベッドはきちんと整えられて、枕が二つ鎮座している。
「わたしの荷物をどこにやったのかしら」
アスカはしゃがんで、残っているかどうかも分からない荷物を探している。新しいボックスの捜索にかかるとき、スカートがめくれたが、まったく気がついていない。
薄いストッキングをはいているのは知っていたが、ガーターで留めているとは思ってもみなかった。僕はあわてて太腿の白い線から眼をそらした。
「あったわ」
アスカは立ち上がり、こちらを向いた。その拍子にまくれが直った。
彼女のいう荷物は、本が二冊と、コンビニのお泊りセットのことだったらしい。
いつ部屋の主が戻ってくるかと僕はひやひやしていた。一刻も早く、ここを去りたかった。
「もういいでしょ」僕の言葉を無視して、アスカはぐるりと部屋を見渡した。それが、この部屋へのさよならである事を、真に願う。
「まだよ」
アスカは答えて僕の横を通り過ぎた。とてつもなくいい匂いがした。
「まだ何かあるの?」
「ええ」
犬が警戒する声が遠くでした。アスカはキッチンに行って、背伸びをして戸棚を開き、スタバの味が家庭で楽しめるラテの粉末を取り出し「ラテはしばらく飲まない」と言いざまにゴミ箱に投げ入れた。ついでにお泊りセットも。
そして部屋に戻ってきて、ふーっと息をついた。
建物の下で車が止まる気配がした。若くはない男女の声とともにドアがしまる音がした。
「よし、次を始めるわよ」
アスカは部屋に入ってから初めて僕を見た。帰ろう。と促す僕をたっぷり三秒間、見つめて「なに言ってんの」と言ってきた。
「今度はなに?」
ちょっとうんざりしている僕に、彼女は薄いモカ色の掛け布団を荒っぽく剥ぎ、挑みかかるような口調で答えた。
「シンジ、ここでセックスするわよ」
はぁ!? と僕は声を出した。
「な、なんでここでアスカと」
「復讐よ」
いいながら、アスカの顔はみるみる真っ赤になった。
「決まってるでしょ」
そう言って自分の物のようにベッドにもぐりこむ。
「早く」
横になったアスカの隣には、しっかり一人分のスペースが確保されている。
「こんなに良いあてつけってないでしょ」
「そうだけどさ」
「いろいろ考えた上で、これが一番だと思ったのよ」
そのとき、僕はなぜアスカが無茶なことを言い出したのかを知った。
なんて素直じゃないんだろう。
笑わずにいるのはほとんど不可能だった。「だめだよ」と言った。
アスカはこの世で一番苦いものを口に入れたように、顔を背けた。
「意気地なしね」
飛んできた枕が体に当たって落ちた。僕は笑いを抑えて提案する。
「じゃあ、キスはどう?」
アスカはごろりと寝返りをうち、腕を枕にして僕に背中を見せた。指摘する勇気はなかったが、してやったりとニヤけているんだろう。
「まあ、それでもいいわ」
こちらに顔を戻して、ゆっくり体を起こし、足を床に下ろした。
腰に手を回してみると、アスカの体は何らかの理由で熱くなっていた。
口を離したと同時にアスカは俯きつつ顔をそらした。そして何かいおうとしたが、言葉は出てこなかった。
僕たちは部屋を出た。郵便受けに鍵を入れ、無言でエレベーターを待ち、建物を出て駅へ向かって歩いた。
*
その駅からは僕の部屋の方が近かった。駅前のビルの四階にある独立系のカフェに入った。カップを乗せたトレイを運んでいくと、アスカが携帯をぱたんと閉じた。
「せいせいしたわ」
「家宅侵入で訴えられたりしないかな?」
「警察は男女関係のもつれには首を突っ込まないのよ」
僕は店のおすすめの二十円高いラテを彼女の前に置いてやる。
「ラテはのまないって言ったでしょ」
さっと僕が飲むつもりだった紅茶と取り替える。壁の時計は午後八時をさしていた。
「今日は恋人探しには行かないの?」
「いかない。なんだか疲れた」
頬杖をついたまま、面倒そうに紅茶にレモンを入れて、一回転させる。
「シンジの部屋に行ってもいいわ」
「あんまりキレイじゃないよ」
「掃除すればいいじゃない。手伝ってあげる」
「冷蔵庫も空っぽだよ」
「途中で買えばいいでしょ。わたしに来て欲しくないの?」
「いや」僕はラテに口をつけた。「ぜんぜん」
「ならどうして、そんなにもったいつけるのよ?」
「いろいろと心の準備が要るだろ」
「なによ今さら」と僕の頬をつねる真似をした。
「アスカは済んでるみたいだね」
僕の顔が気に入らないらしく、彼女はテーブルの下で僕の足を蹴った。柔らかい、添わせるような蹴り方だった。
「自分じゃないみたいな気がするから、早く髪を戻したいだけよ」
*
カフェを出てみると、駅前はひどく混雑していた。僕たちの進行方向から人の波が押し寄せてくる。
「ひどい人ね」
「今日は小川沿いの広場で祭りをやってるんだよ。たぶん、それが終わったんだ」
「はぐれちゃいそう」
アスカは後ろから僕のベルトをつかんだ。
人をかき分けて進んでいくと、アスカがコンビニの前で止まり、買い物をしたいと言った。
「もう、お泊りセットは捨てたでしょ?」
「残してあるよ」
「本当に?」
彼女がどう解釈したにしろ、表情にうれしさが浮かばないように堪えているのを見るのは楽しかった。
大通りを反れると道は暗く、静かになった。
隣を歩くアスカの沈黙や、揺れる髪や、ミュールのコツコツという足音を感じながら、僕は、部屋にラテがない事を思い出した。
「ネルフで出してたラテはおいしかった?」と訊いてみる。
「あの食堂にあった、無料で飲めるやつ? クソまずかったわ」
「野菜ジュースはおいしかったけど」
「あんたはそればっかり飲んでて、ほんとムカついた」
「未だに部屋にはそれしかないよ」
「最低だわ」
「じゃあ、無しでもいい?」
「……飲むけどさ」
そうして、僕たちは肥大化しすぎた都会のあちこちに、ぽっかり空いている穴のような闇に溶け込んでいった。
【後記】
アスカを精一杯デレさせてみました。いかがだったでしょうか?
二人はごく普通の大学生になっていて、つかず離れず、という状態。
本人たちはまったく自覚してませんが、周囲からは「あいつらぜったい結婚するぜ」と言われているような関係。というのをかきたかったんですよ!
感想などお待ちしております!
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