獣は囁く

第47章

エヴァ2体の破壊による第1級破壊罪に問われたわたしとエリカに特赦が出たのは、半年後のことだった。わたしたちを弁護した弁護士も頑張っていたが、なんと言っても決め手は各国大統領の口添えだった。
フランス大統領のモレラ、アメリカ大統領のレスターは他国の司法に口を出すつもりはない。と前置きしながら共同で声明を出した。それによると、わたしとエリカの行動はエヴァの軍事転用を憂慮したものであり、ジャン・ドロクワによって制定されたネルフ憲章の精神に忠実であった。というものだった。
「よく言うよ」
エリカが新聞をゴミ箱に放り込んだ。そしてこの半年で増えた荷物をまとめたスポーツバッグを肩にかけた。ウェインが戸口で待っていた。
わたしたちはウェインに付き添われて部屋を出た。渡り廊下がまっすぐに続いている。ここは那須にある首相の保養所だったが、この半年間はわたしたち二人をマスコミから遠ざけるための、監禁場所として使われていた。
3人で迎えの待っている玄関へと歩いていった。
「アメリカもフランスもエヴァを作っているんでしょう?」わたしが訊く。
「日本もだ」とウェインがまっすぐ前を見つめながら答えた。ウェインは半年で白髪が増えて一気に老け込んでいた。
警備員が立つ玄関を出ると、シンジとファーストが並んで立っていた。シンジは安そうなTシャツに裾の擦り切れたチノパンを履いて、ファーストは淡い黄色のロングスカートに柔らかそうなカットソーを着ていた。誰のセレクトかは知らないが、よく似合っていた。
この半年でファーストは15歳になった。それでも二人は兄弟ほども年が離れている。
「アスカ、おかえり」とシンジが口を開いた。
わたしは眉を動かして、精一杯、渋い顔を作った。
「来なくてもよかったのに」
「車は用意してある」とウェインが真面目な顔で言った「だが、不要だったようだな」
「免許をとったんだ」とシンジが恥ずかしそうにつぶやいて、緑に囲まれた駐車場を指差した。アウディとぼろぼろのマーチが並んで停まっていた。
「うーん、ウェインに送ってもらおうかしら」
「アスカはどうにも口が正直に動かないんだよ」エリカが笑いながら言って、素早くわたしのかぶっていた帽子を取り去って、自分の頭に載せた。
わたしたち4人はゲートを出て駐車場へと向かった。蝉が鳴き、アスファルトの上には陽炎が沸き立っている。
バックハッチを開いて荷物をしまいながら、側に立っているファーストに言った。
「体の調子はどうなの?」
「何も悪いところはないわ」
「ならいい」
少し離れた位置では、エリカが車のボロさをなじり、シンジが苦労して買ったとか何とか言っている。ウェインはアウディのロックをキーで解除した。
「あんたとわたしと、エリカでどこか行きたいわね。シンジはいらない」
「いいわ」
ハッチを閉めてファーストを見た。背後の林の中に誰かがいた。そいつは銃を構えていた。
銃声が山の中に轟いて、蝉が鳴きやんだ。
ファーストを抱きかかえて倒れた地面はフライパンのように熱かった。
「ファースト!」わたしは叫んだ。エリカがシンジを押し倒すように伏せさせた。ウェインがアウディのドアを開け、盾にしながら銃を抜いた。「銃を持ってるぞ!」
ファーストの背中に見る見るうちに血の染みが広がっていく。
「しっかりしてよ!」
「わたしは、平気よ」ファーストはそう言って立ち上がろうとした。
林の人影はまだこちらに銃を向けていた。
「エリカ!ATフィールドを―
悪魔が歓喜する音が再びした。二発目はファーストの胸を貫通した。射創から血が飛び出すのがスローで見え、赤い滴がこちらにも飛んできた。ファーストは衝撃に身を任せて顎を突き上げた。目から命の火が消えていくのが見える。
3発目が鳴った。それはおんぼろのマーチに当たった。ファーストの喉が空気がこすれるような音を立てた。
ウェインがやっと狙撃手に応射した。狙撃手は銃を捨て、林の中へに逃走を始める。
エリカが身を低くして、シンジと共にわたしの所まで来た。わたしはぐったりとしているファーストの体をエリカに預けた。
そしてわたしは犯人を追って林を全力で走った。
林の奥に犯人の背中が見えた。わたしは全てを忘れてそれを追った。
犯人の背中が迫ってきた。犯人は肩越しにこちらを見ようと振り返った。
世界が浮き上がるような感覚がして、振動した空間が裂けていくのを感じた。
蝉が再び求愛の歌を中止する。
犯人は大きな椎の木に打ち付けられた。そして驚愕と苦痛の表情でわたしを見た。犯人のわき腹は刀で傷つけられたように裂けていた。
冬月に向かって走りながら、足を悪くして京都を出られない。という嘘を信じていた自分の愚かさに怒りが煮えたぎった。冬月はもう観念していた。姿勢を正して死ぬ瞬間を待ちながら、その口がわたしにこう言った。
「言ったはずだ。私はあんな組織にいた者としての責任を果たすつもりだと」
そう言って拳銃を抜くと、自分の頭に当てた。冬月が引き金を引くより早く、その胸に穴が開いた。
ウェインが銃を下げた。「ミスター・フユツキ。あんたはもっと賢かったはずだ」
わたしは吐き気に変わろうとしている動悸を無視して、ファーストの元へ駆け戻った。
マーチの周りに人だかりができていた。警備員をむしりとるように押しやり、輪を抜けた。
ファーストが倒れていた。血が焼けるように熱いアスファルトの上に広がってタイヤにまで広がっている。顎をあげ、口をわずかに開いていた。その体勢は人工呼吸が行われ、そして中断されたことを意味していた。氷のように冷たい顔をして、服は真紅に変わっていた。それがわたしにプラグスーツを思い浮かばせた。
シンジが膝を突いて泣き咽んでいた。
鼓動が追いついてきて、内臓を引き絞るような感覚がやってきた。体をかがめて吐いた。
呼吸が暴走するのを抑えられず、次第に意識が遠くなってきた。うなじがファーストの顔よりも冷たく冷えていく。警備員が救急車を呼べと叫んでいる。過呼吸から逃れようと手を伸ばすと、すぐ側に帽子が落ちていた。
胸を押さえて目線をあげると、エリカがいた。手は真っ赤に染まり、頬には血でつけた指の跡が残っていた。マーチに寄りかかり、虚ろな表情で上を見上げていた。
わたしは裏返り、死んでいく世界から振り落とされないよう、意識にすがりついた。
エリカの肺がぜいぜいと音を立てている。わたしを見ると、首を傾けて落ちている銃に目をやった。
「駄目よ」
わたしは首を振った。
「キツイよ。苦しい」
エリカは残る力でそう言った。そして色の薄いグレーの瞳をわたしに向けた。
「うまいこと、伝染せなかった。まだ少し残ってるんだ。それが私を生かそうとしてる」
わたしはさっきよりも小さく首を振った。
「子供を生みなよ。アスカ。使徒の遺伝子を受け継いでいくんだ。人と使徒は近い存在だから、使徒はあんたの子孫の中に溶けていくよ」
「そしてひ孫ぐらいには【奥様は魔女】が始まるの?」
エリカは笑おうとして失敗した。
「もう殺してよ」
「いやよ」
「あたしは使徒だよ」
背中に手を回して深く抱いた。
「あなたが使徒ならわたしも使徒ってことになるじゃない。わたしは人よ。だからあんたも人なんだ。人として死になさいよ」
はは、とエリカは小さく笑った。
「使徒が借りを返せって言ってる」
エリカの体が軽くなったような気がした。その途端、エリカの体は使徒に与えられた時間の精算を始めた。
腕の火傷跡が蘇って全身に広がり始めた。
エリカは悲しみで潤んだ眼でわたしを見た。涙が伝い落ちる。それは首から頬へと上ってくる火傷に触れて蒸発した。
エリカは腕の中で焼け爛れた骨へと変わっていき、そして一握りの白い砂になってアスファルトに小さな山を残した。
わたしは四号機パイロットの名を絶叫した。そして世界が死んだ。