獣は囁く

 第40章

 わたしの役回りはひどく難しかった。何しろ、銃を持っていないのだ。わたしが動くだけで撃ってこないことにリツコはすぐ気がつくだろう。そうなるとわたしは状況を悪くする存在にしかならない。
鉄柱が放つ熱で空気はジャングルと同じぐらい暑く、すぐに汗が額に浮かんできた。
気配が右手から斜めに走り抜けていく。白衣の裾が見える。左手の見えない位置からはミサトの気配がしている。
慎重な追い込みゲームが繰り広げられ、緊張は銃声で開放される。そして再び銃声を聞くまでのゲームが開始された。わたしは汗みずくになってゲームコートを走り回っていた。汗で濡れた髪が額と首に張り付いている。
誰かの汗が黒いタイルに散らばって、ダイヤのように光り輝いている。そこに何かが落ちていた。黒い塊に見えた。それに気を取られた瞬間、耳元を銃弾がうなりをあげてかすめ、鉄柱に当たって身の毛のよだつ音を立てた。
見ると真正面にリツコがいた。鉄柱で身を守ろうともしていなかった。わたしが丸腰であることが、彼女にバレたのだと瞬間的に悟った。
鉄柱の影に飛び込んだ。リツコがこちらに走ってくるのが分かった。
「ミサト!」
わたしは始めて声を出してミサトを呼んだ。ゲームが変わったと感じた。わたしは柱の間に逃げ込んで、リツコから少しでも遠く離れようとした。銃声が幾つかしたが、体は無事だった。
が、リツコはそれ以上は追ってこなかった。ミサトが叫んだ「アスカ!どこにいるの!」
胸が凍りついた。「こっちに来ては駄目よ!罠よ」
柱の間からミサトがこちらに向かってくるのが見えた。わたしとミサトの間にはあの黒い塊が見えた。
視界が真っ暗になり、後ろに吹き飛ばされた。火薬の匂いが溢れ、柱がぶつかりながら倒れる音が響いた。意識がぐるぐる回り、体が蝋人形になったようだった。
今の爆発がウェインたちにわたし達の存在を知らせてくれたことを願いながら、まだ煙に覆われている向こうに呼びかけた。
応答は無く、よろめいて立ち上がりかけると、新たな銃声が始まった。だが、今度は乾いた1種類の銃声しかしなかった。
煙の向こうに人影が見えた。肩までしか髪がない。リツコの背中だった。その向こうにミサトがよろめきながら逃げていくのが見える。不恰好な走り方で、どこかを負傷したに違いなかった。リツコはわたしの存在に気がつき、こちらに銃を向けかけて、思い直しミサトを追いかけ始めた。
「待ちなさいよ!」
爆発地点は鉄柱がなぎ倒されて通り道を塞いでいた。アルミニウムの外殻が破れた鉄柱はむき出しの内部から黒い煙を吐き、白い火花を散らしている。それらを乗り越え、二人が消えた方向を見た。照明が揺れ、鉄柱の影がいくつもに分裂して揺れている。二つの足音がかすかに聞こえる。
根本から傾いた柱から垂れ下がった虹色のコードの先に炎が現れると、ビニールを焼いて上に登りはじめた。その下を通り抜けようとした時、柱が動き、同じく傾いた他の柱の上を転がり始めた。瞬く間にコードが巻き取られ、ある短さまで達して柱と一緒に回転を始める。
目の前に現れた炎が消えたかと思うと、背中に鋭い痛みがきた。そちらに気を取られて柱が迫っていることに気がつかなかった。
金属のすれる音がすぐ側で聞こえた時にはもう遅かった。
頭を丸太で殴られたような衝撃を受けて床に倒れた。視界が飴のように歪んだが、途切れはしなかった。意識を回復するにつれて、何かがあるのを見つけた。
瓦礫の下に手を伸ばす。手の届く範囲だった。つかんで引き出してみると、手には青光りするものが握られていた。リボルバーに装填された6発の弾丸の弾底がボタンのように輝いていた。
加持さんの銃はわたしのイメージよりも一回り大きく、そしてずっしりと重かった。

 わたしがマギの記憶の森で再び二人に出会ったとき、すでに勝負は決していた。
リツコの足元にミサトが突っ伏している。リツコの腕は彼女に向かって伸ばされ、銃口からは白糸が立ち上っていた。
わたしは両手で銃を構え持ち、白衣に血の水玉模様を散らしたリツコに向けた。リツコは素早く察して銃と体をこちらに向けた。知り合いに銃を向けるのは辛いことだった。何でもない思い出、10年前にリツコがわたしに煙草がどれだけ体に悪いかを説明してくれた時のことが思い浮かんだ。
わたしは指に力を込めた。
目を閉じるな!
はっきりとそう聞こえた。銃に宿った加持さんの声だったのか、ミサトが叫んだのか、いつか見た映画の一場面がフラッシュバックしたのかもしれない。
ともかく、わたしは目を見開いた。そして引き金を引き絞る。

第41章 赤木リツコ

 赤木リツコは全身に鳥肌を立てていた。明晰な頭脳はすぐにミサトとの打ち合いに勝利したのだと悟った。意識の片隅に良心が噛り付いている。
右手を伸ばして床に突っ伏しているミサトが目に入り、赤黒い血がジャンバーの下から染み出てくるのを見た。ミサトは体を激しく痙攣させた、二の腕に乗せている頭、こちらに後頭部を向けているのでその表情は見えない、がぐらぐらと動いた。
後ろで物音がした。彼女の頭脳は脳下垂体から噴出するアドレナリンで冴え渡っていた。かつての友にとどめを刺すのは後でもできる。まずは背後の小娘を先に殺すべきだ。
素早く振り返りながら、同時に銃を向ける。アスカはほそっこい腕に不釣合いな銃をこちらに向けていた。三五口径のマグナム銃。ミサトが持っていたやつだ。アスカが爆発地点で拾ったんだろう。
偶然の産物。
リツコはそれを言葉でなく感覚で感じ取った。今や二人はコンマ1秒も無駄に出来ない空間の中にいた。
リツコは体を性的絶頂に似た快感が突き抜けていくのを感じた。こんなに興奮したのはいつ振りだろう?
再び自分に勝利が訪れると確信して、リツコは引き金を引いた。

 第42章

 記憶の森に凄まじい轟音が鳴り響いた。
ミサトはVVDに弾速の速い高級品の弾丸を装填していた。だから、銃を撃った後の反動もなかなかだった。正直に言うと、なかなか、なんてもんじゃなかった。
反動でわたしの腕は上へと跳ね上がり、バンザイをして後ろに吹き飛ばされそうになった。リツコの弾丸は左の鉄柱に当たって跳ね返る。
わたしの弾丸は目標を大きくそれていた。リツコのずっと後方で小さな火花が上がるのが見えた。
わたしは自分の体が次の射撃をするには、あまりに無理のある状態になっているのを知った。両手は跳ね上げられたまま、降りてきそうもない。それとは対照的にリツコの腕は早くも反動から回復しつつあった。
いざ、自分が撃たれると分かり、実際に相手が射撃体勢を整えていくのを見ると、胃は見えなくなるほど縮み上がり、他人が想像するよりはるかに幸の薄い人生を振り返る暇も無かった。
リツコの銃が目標を捉えるのにほぼ成功したとき、視界の端から影が飛び出してきてリツコにぶつかった。影とリツコはそのままもんどりうって床に倒れた。二人は野犬が喧嘩するような声をあげて上へ下へと位置を逆転しながら床を転がった。その側にはミサトの死体を中心にした血だまりがあった。
「シンジ!」
わたしは叫んだ。
「アスカ!撃って!」
組み合いながら床を転がる人間なんて、とても狙えたもんじゃなかった。わたしは加勢をするために走り出した。その時、もがいたリツコの肘が偶然にシンジの顎にぶつかり、レンガのようにシンジが崩れ落ちた。
リツコはまだ銃を離していなかった。シンジにのしかかられたまま銃をこちらに向けた。
わたしは銃口から逃れてとっさに体をひねった。ひねりながら引き金を引いた。
(あんたに当たったら謝る。本気で謝ってあげる)
謝る必要はなかった。今度は二人の頭から30センチもない床に大きな穴を開けた。
わたしは肩と頬に弾風を感じながら肩から倒れた。激痛が走り、骨が悲鳴を上げた。銃が手を離れて転がった。つかみ取ろうとして、右手がまったく動かないことに気が付いた。
リツコはシンジの体を押しのけて立ち上がった。その時、片手で髪を直す仕草をした。イヤリングの片方がなくなっていた。
リツコはこちらに進み寄ってきた、目前にはミサトの体が横たわっていたが、回り道なんてしなかった。最短距離をまっすぐこちらへ。
リツコが苦痛にもがいているわたしに銃口を向けた。
「これまでよ」
「またぐんじゃねえよ。このクソアマ」
銃声と同時に白衣の胸に赤い染みができた。リツコは右手で触ってそれを確認し、指についた血を白衣になすりつけた。そして泣くような顔をして膝から崩れ落ちた。

第43章

「シンジ君の銃よ」
ミサトは目を銃に向けて薄く笑った。体が細かく震えている。
「演技ってのはああやってやるもんよ。参考にしなさい」
死ぬクセに。わたしは言った。左手でミサトの頬を押さえた。「死ぬよ。ミサト。ごめん」
いいって。ミサトはそう言って、だるそうに目を閉じた。
「左のポケットに弾がある。加持君の銃に装填しなさい」
「あたしには扱えないよ」
「ここに捨ててくつもり?ちゃんと持って帰って」
わたしは左手でミサトのジャンバーのポケットをまさぐった。冷たい弾が手の中で触れ合う音を立てた。
「リボルバーの留め金を外して、スライドさせてから上に傾けて」
わたしは左手一本でそれをやった。リボルバーをスライドさせるのは膝を使った。銃を上に傾けるとリボルバーから空の薬莢がばらばらと落ちた。
座り、両膝で銃把を挟んで固定して弾丸を口にくわえた。そして左手でリボルバーに込めていく。
「様になってる。映画みたい」
わたしは首を振った。
「終わったら、シンジ君を起こして…ここから逃げるのよ」
「ミサトは…どうすればいいの」
「回収になんて来なくていいわよ…この暑さじゃすぐに腐るんだから…」
「ミサト」
「リツコは…リツコはたった一人の親友なのよ。一緒に死ぬのはそんなに嫌じゃない」
わたしは震える指でなんとか装填を終え、リボルバーをあげた。ガシャと音をたててリボルバーはがっちりと留め金にはさまった。
「できたよ」
わたしは言った。ミサトはもう何も言わなかった。

第44章

地下へリポートの扉をシンジと二人で押し開けた。風とプロペラ音が強くなった。
垂直離着陸飛行機用の縦穴トンネルをヘリが地上を目指して上昇していく。
「どうにかしないと」
シンジが飛び立っていくヘリを指差した。機体から誰かが顔を出してこちらを見た。サングラスだった。その顔を見た瞬間に血が沸騰した。サングラスは手を振り、擲弾を下に落とした。
擲弾はヘリポートに達するより先に爆発して、破片の雨を降らせた。
全身に破片を浴びながら、シンジからトランクをひったくり、金具を外した。グリップと筒が品よくそこに納まっていた。一本はすでに使われて無くなっている。グリップを取り上げてシンジに言った。
「手伝って!」
シンジが砲身をグリップに取り付けた。上を見ると、ヘリは空から降り注ぐ陽光の中で小さな点になりつつあった。
「こっちを支えて」
わたしは左手で髪を跳ね上げ、組み立てた肩撃式スティンガーを肩に乗せる。シンジが右手で持つべき部分を受け持ってくれた。
緑の照準に描かれた十字線にヘリを収めるべく体を動かす。
「左!」
シンジが腕を動かすと、十字点とヘリとがぴったりと重なった。
スティンガーはよく自分の役割を心得ていた。姿を消しつつあるヘリを認識すると、補足したことを知らせるうなり声を上げた。
バックファイヤを吹き上げて、ミサイルが発射された。ミサイルは犬のように尻を振りながら、白い軌跡を残してヘリへと襲い掛かった。
スティンガーを投げ捨てた。シンジに抱きついた「終わったわ」
シンジが思い切りわたしを抱き返した。そして体を捻った。わたしはお姫様よろしく体を浮かされた。
炎に包まれたヘリが落下してきていた。シンジはわたしを抱えあげると、出口に向けて走り出した。

第45章

マギの「記憶の森」の扉が開き、柱の間を縫っていく足音が響いた。そして二人の女が倒れている側に立った。「リツコ君」
その声でリツコの頭がかすかに動き、まぶたが開いた。そして目の前の革靴に気がつくと、目だけで上を見上げた。
「君のデータを渡したまえ」
リツコの目から細い涙の筋が流れた。
ゲンドウは身をかがめて力の抜けたリツコの体を、白衣の上から叩いていった。裾の内ポケットに手を入れる。手を抜き出すと、小型ハードディスクが握られていた。
ゲンドウは何も言わずにそれを上着のポケットにしまった。そして、もうリツコを見ることはせずにつぶやいた「まだまだ、君の力が必要だ。君は私が知る女性の中で最も優秀だ」
リツコは何の反応も示さなかった。目の光が弱まっていく。
「神に遣わされた男はゴルゴダで処刑されてから、3日で復活した」
そして部屋の外へと出て行く。
動かなくなったリツコの目がその後姿を追っていた。開いた扉が空気圧でゆっくりと動き、そしてがちゃんと音を立てて閉じた。