獣は囁く

第35章

 外に出た途端に熱風が頬を打った。はるか下に見える蓄熱機構は今も轟音を上げて熱を貯め続け、余熱が上昇気流となって吹き上げてくる。まるで溶鉱炉のような暑さだった。
装甲板を這って八号機に飛び移った。目の前にエントリープラグが突き出ている。蓄熱機構から離れるにつれて、埃っぽいが、涼しい風が吹いてきた。
かつてネルフがあった場所には巨大なクレーターができていた。残骸と木が入り混じった土がクレーターを縁どるように山になっている。その先にまったく無傷の富士が聳えていた。
八号機のエントリープラグのハッチの前まで来た。心臓が早鐘のように脈打っている。VVDの安全装置をはずし、親指でコックした。右手でハンドルをつかんで捻る。
ゆっくり開いたハッチの奥を祈るような気持ちで覗く。

第36章

 内部の壁は映像が途切れて灰色になっており、救難信号を発信していることを示す赤十字のマークが音もなく点滅している。
その瞬きに合わせて、二つ並んでいる操縦席が浮かび上がったり、シルエットだけになったりした。そうして二人の人間が一つの操縦席で身を寄せ合っている様子は、わたしに、夜の路地にいる猫を連想させた。
スーパーMRIで得たパイロットの人格をつなぎ合わせることなど不可能だった。
だから、リツコはもっとシンプルにエヴァを二人乗りできるようにした。つまり、今、目の前にいる二人は、クローンではなく、スーパーMRIの情報を元に再生させた人間。10年前の5月1日の惣流アスカと碇シンジを再生した人間だった。
もう一人のわたしは、もう一人の碇シンジをきつく抱きしめていた。もう一人の碇シンジは気を失っていた。頭から流れる血がプラグスーツの凹凸を伝って、密着している腰の辺りへと消えている。
絶句していると、14歳の惣流アスカがこちらを見た。底意地の悪そうな、生意気な目だった。
「シンジは絶対に殺させない」
「あんた、わたしなの?」声が震えて別人のようだった。
「わたしは、あんたよ」14歳の惣流アスカが答えた。
「でも、あんたみたいにおばさんじゃないし、ファーストにシンジを取られたりもしてない」
14歳の惣流アスカはさらにきつくシンジの体を抱いた。そうすることで、手品のようにわたしの視界からシンジを消し去ることができるとも言うように。
14歳の惣流アスカが続けて喋った。
「わたしはあんたみたいなドジは踏まなかった。わたしとシンジは愛し合っているわ」
「あんたたちはリツコに作られたんでしょ」
「わたしとシンジで第七使徒を撃退した直後に特別検診を受けたわ。MRIを取られて、気がついたらドイツにいたのよ」
「あんたじゃない」どうにか言った。「第七使徒を倒したのはわたしとシンジよ」
「あんたのやり方が悪かったから」14歳のわたしは挑みかかるように言った。「ファーストなんかにシンジをとられたのよ。シンジはわたしに惚れていたのに」
「黙んなさいよ」
わたしは震える手でVVDをわたしに向けた。「コピーのくせに」
「コピーじゃない!」14歳の惣流アスカが言い返した。「あんたの違った過去よ」
「黙って」
「もしかして自分に嫉妬?」
「あんたはドイツでシンジと二人きりでしょ?わたしは違ったわ」
「ファーストがいたって同じよ。あんなのにわたしが負けるはず無い」
「ガキのくせに生意気よ」
「あんた譲りのね」
「あんたたちを殺すわ。跡形も残さない」
「シンジと死ねるなら、それでいい。あんたみたいになりたくない」
ハッチを叩きしめ、外からロックした。蓄熱機構の熱は目を開けていられないほどで、髪に火がつきそうだった。
地獄よ。とわたしは思った。なんて素敵な人生なんだろう。
十号機に戻って休止状態を解除する。蓄熱機構の温度は耐熱限度ぎりぎりの105%。2500度になっていた。炭化タンタル以外に固形を保てる物質はない温度で、機構は放熱を必要としていた。
立ち上がり、十分な距離を取る。リストアップされた武器に『フレア』が加わっている。迷わず選ぶと、背中の煙突が折れて肩に乗った。機構の中で2500度に熱せられたタンタル製の弾丸が砲身へと移動していく。
装填が完了すると、ATフィールドを展開するように警告が出た。警告はフレアが断熱処理された砲身の外に飛び出した際、自分自身を焼かないためにATフィールドが必要と説明していた。
ATフィールドを展開し終え、じっと待った。照準は八号機にぴったりと固定されている。警告音がはやく放てとせかした。
八号機から通信請求があった。回線を開くと、わたしの声がした。
「わたしたちを逃がして欲しいの」
わたしは黙っていた。
「どこかで隠れて暮らすわ。ぜったいにあなたの前には現れない。また死にたくない」
喉に鉛を詰められたようだった。
「だめなら、シンジだけでも逃がして。あなたは、わたしがシンジをどれだけ好きか知ってるでしょ」
わたしは黙り続けた。溢れてくる涙を手で押さえた。
どうしたらいいの…ママ、教えて
機構の熱が108%を指し、限界に達したことを表示した。機構から何本もの冷却板が飛び出して、必死に冷やそうとしたが、それすら飴のようになり始めていた。
「ねえ、お願い。聞いてるの?」
顔を上げて八号機のエントリープラグを見た。

第37章

極限の高温弾丸が放たれると、弾道上のすべての物が燃える間もなく蒸発していった。弾道の回りでは燃えるものは全て火を噴き、一面が炎の海になった。
弾丸が富士の斜面を崩すと、炎の道が出来上がっていた。
機構が『冷却』を始める。蓄熱機構が物凄い勢いで空気を吸い込み始めた。排出された熱風で木が燃え上がる。
涙が止まって話せるようになるまで、炎が攪拌された大地を蛇のように動くのを見ていた。
「誰か、聞こえる?」
「聞こえるよ」シンジが答えた。「すごい火が見える。アスカは大丈夫?」
「火遊びが高くついたわ」
「八号機は?倒したんだよね」
「ええ」
「ミサトさんもエリカも気を失ってる」
「そう」
「アスカ、無事で良かった」
「どうにかね」
「シゲルさんとマヤさんは…」
沈黙が続き、エントリープラグの中は世界一居心地の悪い場所になった。シンジが明るく振舞おうとしている声で言った。
「アスカを迎えに行くよ」
「来てくれるの?」
「うん。八号機はどうしたらいいんだろう?」
「その辺においていく。ウェインが何とかするでしょ」
「綾波も一緒にいけるよ」
わたしはそれを聞き、目を閉じて操縦席に深く沈んだ。
「ええ、そうね。来てくれるとありがたいわ」