獣は囁く
第34章 後
秋を思わせる澄んだ青空だった。晴れた空に鱗のような雲が浮いている。樹海の緑が濃く見え、七号機とやりあった場所の木々はミステリーサークルのようになぎ倒されている。七号機が捨てられたミイラのように横たわっているのが見えた。
「北北東から来るわ」
ミサトが言った方角の空に、かすかな黒い点の群れが見え始めた。望遠倍率を上げていくと、戦闘機に守られた輸送機と、それにスリングされた八号機が見えた。磔刑にされた罪人そのものにうつむいている。外見は初号機と何ら変わりなく、唯一、武器弾薬を収めるためのポットが腰に付けられていた。
背後から発射された対空ミサイルが鷹のように八号機に向けて飛んでいった。
ヨーロッパの戦闘機は回避行動を取らず、身を挺してミサイルのターゲットを奪った。たくさんの爆発がおき、戦闘機はきりもみしながら落下していく。
八号機の姿が肉眼ではっきり捉えられるまでになった。輸送機が高度を下げてきた。
空を埋め尽くす量の対空ミサイルが発射され、大半の戦闘機が撃墜されていった。ついにミサイルのひとつが邪魔されることなく、輸送機に向かって突き進んだ。
輸送機と八号機を結んでいたワイヤーが切れ、八号機が落下を始めた。その直後に輸送機はミサイルに襲われて大爆発を起こした。
八号機はすべるように高度を下げていく。その姿を捉えていた照準の色が青からオレンジへと反転する。
「八号機の起動を確認」シゲルが言った。
八号機と、それを固定していた十字架が分離された。八号機が地面に着地すると地面が揺れ、十字架はわずかに傾いて大地に突き刺さった。
八号機がライフルをこちらに向けた。わたしは相手が引き金を引くよりも早く走り出していた。鉄に当たるような音を立て、こちらのATフィールドがライフルの弾をはじいていく。
飛びつくと八号機がATフィールドを展開させた。十号機の自動制御のATフィールドが一瞬でそれを打ち消す。手を伸ばしてつかみかかる。
一瞬の差で手が空を切り、八号機は俊敏に後ろへ下がった。その動作だけで目の前の相手が七号機とは段違いの機動性を持っていることが分かった。
「ミサト!あいつ動きが早い!」
「いいパイロットなんだわ」ミサトが答えた「シンクロ率が高いのよ」
こちらが伸ばした手を再びすり抜けて、すぐに飛び離れた。
「アスカ!背中に何か仕掛けられた!」
背中に腕を回してむしり取って空へ投げた。それは太陽を掠めた瞬間に炸裂して青色の液体を撒き散らした。
液体窒素は激しい蒸気を吹き上げて樹海に降り注いだ。液体を浴びた木々は一瞬で凍り、内部の水分の膨張に耐え切れずに、断末魔のような音を立てて裂けた。
十号機に襲い掛かった液体窒素は大半がATフィールドにぶつかって蒸発したが、一部が足にかかった。装甲板が一瞬で氷付けになる。
冷たさを感じることはなかった。変わりに肉を指で引き裂かれるような痛みが走る。急激な温度変化に耐え切れなかった装甲板が内側に反り、足に食い込んでいた。
装甲板をはがし取るのに気を向けていたので、八号機の接近に気がつかなかった。八号機は両手を組んだハンマーを高々と振り上げた。
回避することもできず、ハンマーを首の側面に叩き込まれた。
地面に叩きつけられ、視界が一瞬途切れた。頭ががんがん鳴り、相手の拳がそのまま食道に入ってしまったのではないかと思った。
八号機はこちらを踏みつけようと足を振り上げた。わたしは手を伸ばして軸足をつかんで引っ張り、相手にしりもちをつかせた。
「足も首も装甲破損と打撲のみよ。しっかり」
「あいつ、物凄く上手い」わたしはぐらつく視界をまっすぐ立たせながら言った。
「今のままだと動きについていけない。シンクロ率の上限制限を緩めて」
「足と首の痛みがひどくなるわよ」
「このままだともっと痛い傷を負うことになるわ」
「80%まで解除する」
意識がはっきりし、エヴァと一体になっていくのが分かる。と同時に足と首、おまけに七号機に負わされた傷の痛みも鮮明になった。
相手とにらみ合いながら、頭のどこかで八号機を操縦しているのが、人でないような気がしていた。あまりに動きが早すぎる。
突然、エントリープラグ内が真っ赤に染まり、警報音が鳴り響いた。
「こんどは何よ!?」
「物凄い数の巡航ミサイルが向かってきている」
「ミサイル?」
「ヨーロッパの主な軍事基地すべてから発射されてる。凄まじい数よ」
「どうするの」
「大きなクレーターができるわ。この一帯が焼け野原になる」
「ネルフは大丈夫なの?」
「たぶん、跡形もなくなる。残っている全員に総員緊急避難命令を出す」
「わたしがATフィールドで守るわ」
「ダメよ。その隙を八号機にやられる」
「じゃあ、早く避難して」
八号機が窒素爆弾を投げた。爆発する前にATフィールで真っ二つに切り落とす。
「もう命令は出してある」
「ミサトたちは?」
「残るわ。バックアップが必要よ」
「冗談じゃない。早く逃げて。あんたたちが残るんだったら、わたしはATフィールドで守る」
「これは私たちが始めたことなの。最後まで責任を取るわ」
「別の方法でね」わたしは言った。「今でなく、別の時に別の場所で」
八号機がわたしをネルフから遠ざけるように、じりじりと動いていく。
「正直、あいつを相手にしながら、ネルフを守れる自信がないわ」
長い沈黙のあとでミサトが言った。「絶対に勝つのよ」
「エリカを連れて行くのを忘れないで」
八号機がナイフを構えて襲い掛かってきた。背中に何かが当たった。八号機を固定していた十字架だった。一抱えもある十字架を引き抜いて横薙ぎに振り抜く。八号機が横に吹っ飛ばされた。
蟻が這い出すように地面のあちこちから車両が湧き出してきた。
八号機はすぐに立ち上がると、素早く組み付いてきた。殴りつけると、したたかにクロスカウンターを喰らわされた。激しい音が鳴ったが、警報音でも装甲板の破壊音でもなかった。
必死で意識をかき集めていると、全てを吹き飛ばすような痛みが右の腋の下に襲い掛かった。八号機のナイフが、装甲板の継ぎ目になっている脇の下に突き立っていた。
肺を貫くような激痛が、苦労して集めた意識をサッカー選手のように蹴散らした。操縦桿から手を離して刺された箇所を押さえる。
管制室を出て車へと走っていたミサト達の中で、青葉シゲルが手元のパソコンでその事実を知り、十号機の動きが止まったのを目撃した。
「まずい!パイロットが気絶しかけてる。シンクロ率を下げないと!」
ミサトがそれを聞いて、シゲルの肩をつかんだ。
「誰が下げるって言うのよ!」
シゲルはマヤにちらりと目をやった。目は汚れた氷のように曇っていた。シゲルは振り返りざまにミサトの顎を殴り、崩れ落ちる体を受け止めた。折れた歯が一本、口から転げ落ちた。
車まで運んでから、シゲルが言った。「目を覚ましたら謝っておいてくれないか?」
「ああ…わかった。伝えておく…」
エリカが静かに言った。包帯の隙間から口だけ見えている。
車にエンジンをかけたウェインが、リアウインドを下げて顔をだした。「他に言い残すことは?」
「ミサトさんには『あの日、左を進んでいたら、確実に俺のほうに惚れてたはずだ』って言っておいて欲しい。それから弟には両親を頼むと。そして」
シゲルがレイを覗き込んだ。
「君は新しく得た時間を有意義に使うんだ。たとえ10年でも生きた意味を残すには十分な時間だ」
レイはじっとその目を見つめた。それからかすかに頷いた。そしてシゲルがマヤを向くまで、視線を外そうとはしなかった。
「マヤ、お前にはこれをやるよ。旧ネルフで拾ったんだ」
シゲルが「管理司令室 大井」と書かれたプラスティックのプレートを差し出した。マヤの目が見開かれた。プレートをいとおしそうに撫でた。
「あとはシンジ君に任せる」
「わかりました」シンジが答えた。
わたしは一方的に殴られていた。モニターが点滅し、照準の大半が機能を失って視界をさ迷っていた。メーター類は全て危険域を指している。
爆発音がすぐ傍で炸裂し、巡航ミサイルが着弾したのかと思った。八号機が集中砲火を受けて後退していく。痛みがいくぶんおさまり、覚醒装置が作動して意識がはっきりしてきた。
「アスカ、起きろ。すぐに弾切れになる」
「…避難しろっていったのに」
「ミサトさんたちはウェインが連れ出した。俺とマヤだけだ」
「マヤも…?」
マヤは何も言わなかった。
「アスカ、これから八号機にワイヤーで束縛をかける。その間に蓄熱をしろ」
「蓄熱?」
「フレアやその他の武器を使うために必要な準備だ。始動はこちらでやる」
樹海からワイヤーが飛び出した。八号機に巻きついていき、動きを奪っていく。
背中についていた蓄熱機構が動きはじめた。視界にメーターが現れる。『現在温度201℃』そう表示され、数値が上昇していく。
「蓄熱している間は動けない。あと1分で巡航ミサイルがくるから、ATフィールドで防いでくれ」
「早く地下にもぐって。最深部に避難すれば助かるかもしれない」
「もう間に合わない。あとはマヤの話しを聞いてくれ」
「アスカ」マヤが聞き取りにくい声で言った。
「何度も助けてくれてありがとう。最後に私の知っていることを話します」
「リツコのこと?」
「先輩は日本にいます。でも、それ以上のことは良く分かりません。会ってもいないんです。手伝うようにいわれただけ」
「わたしたちの監視だね」
「そうです。それと、スーパーMRIのことについても話します。これは10年前に先輩から聞いた話し」
「教えて」
「先輩は言っていました。MRIは電磁波を使ってその瞬間の体の状態を写真に取る技術なんです。スーパーMRIはそれが信じられないぐらい高い解像度なの。分子レベルから、シナプス間を移動するニュートロンまで完全に撮影できるんです」
回復したレーダー類が接近してくるミサイルの雨を感知していた。蓄熱は600度に達している。
「それで?それがどう関係があるの?」
「つまり、スーパーMRIはその瞬間の人間の状態を記録として残すことができる。記憶、思考回路、性格、脳波まで、その人の全てを残せます」
「そのデータが八号機の正体なの?」
「先輩はあなたたち3人の長所を組み合わせることで、優秀なダミープラグが作れると言っていました。ただ、ことなる人格や思考回路をつなぎ合わせるのは不可能に近いとその時は思いました」
「この10年でリツコはそれをやってのけたってことね」
「先輩ならできたかもしれません。先輩は人類史上でも稀な才能をもっているんです」
「エヴァに取り付かれていなきゃね」
スコールの直前のようにミサイルの雲が日を遮り、影がおちた。八号機がATフィールドを広げ、最初の一発が樹海に着弾した。レーダーは緊急事態を告げ、蓄熱は850度を超えてさらに上昇している。
「アスカ、勝てよ」とシゲルが言った。
「勝つわ。約束する」
2発目が着弾した直後に3発目と4発目が同時に降り注ぎ、その後は何も分からなくなった。上下左右も分からないほどの爆発の渦が十号機を包み込んだ。ATフィールドにもミサイルが降り注ぎ、強度を示す数値が猛烈な勢いで減っていく。
目を閉じて必死で耐えた。足元の地面が砂のように崩れていくのを感じる。
永遠に去らないハリケーンのようにミサイルの嵐は続いた。ついにATフィールドの強度が0に到達し、何発かが機体にぶつかって爆発したところでぴたりとやんだ。
巻き上げられた瓦礫が互いにぶつかりながら落下する音がする。目を開くと、プラグ内は起動前の灰色の世界に戻っていた。
活動停止を疑った瞬間、幾つかの計器が息を吹き返した。灰色の壁面のパネルごとに砂嵐が始まり、パッチワークのように視界が回復していく。周辺は霧がでたように曇り、暗かった。持ち上げられた岩と木が降り注いでいた。
「シゲル、マヤ」
応答はなかった。土ぼこりに覆われてまったく視界が無い。
レーダーが回復し、八号機の姿を緑色の線画で描き出した。八号機はすぐ隣にいた。何かの武器で肩を殴られて拘束具がバラバラに砕けた。再び殴りかかってくる手をつかみ、反撃を食らわせて投げ捨てる。
「さあ、アスカ」わたしはかみ締めた歯の間から言った。「盗撮されて、部屋をめちゃくちゃにされて、衛星レーザーに殺されかけて、使徒に寄生されて、親友も死なせた。そろそろ、実力ってものを見せてやってもいいんじゃないの」
最後に背中の蓄熱機構のメーターが回復した。『使用可能―威力71%』と表示され、その下には使用可能な武器がリストアップされていた。温度は1200度を超えて、さらに上昇を続けている。どこまで上昇するのか見当もつかない。
晴れていく煙の中で、八号機の顔が見えてきた。土ぼこりで汚れきっている。
わたしは肩の拘束具に納められていた剣を引き抜いた。
それは単なる金属製の平たい板だったが、手に収めると、釣竿のように延び、最後に三角の板が出て剣の形になった。
表示が『蓄熱』から『伝熱』に切り替わると、異質なモーター音と振動が始まった。
蓄熱機構が蓄えた熱を放出し、剣は炉から抜いたばかりのように赤くなった。凄まじい熱が刀身を溶かさないように、継ぎ目から冷却材がにじみ出る。
冷却材は燃え上がり、炎の雫となってぽたぽたと垂れた。
立ち上がっていた八号機は歩みを止め、二本の刀を抜くと、新たな土ぼこりを立てて走り出した。ぶつかりあった剣と刀は、刀が一瞬に融解してアイスのように溶け落ちた。
すくいあげるように剣を振り上げる。炎のしずくが宙に飛び散った。切断された足が長靴のように飛び、八号機は顔から地面に突っ込んだ。腰の装置から何か武器を取り出してこちらに投げつけようとするのを、手首ごと切り飛ばす。
切断されると同時に傷が焼かれるために、肉を焼く吐き気を誘う匂いが漂う。剣を投げ捨てた。地面に突き刺さると周りのあらゆるものが燃える。
馬乗りになり、殴りつける。目の光が点滅し、次第に弱くなり、そしてほとんど消えた。
離れると、八号機はなんとか立とうとして身を起こし、正座した状態で停止した。エネルギー反応は0に近い数字を示していた。
うなじの装甲を引き剥がすとエントリープラグが飛び出してきた。それを抜き取る。
「こんなもの」
力を込めるより先にモニターに赤い十字のマークが浮かび上がった。救難信号だ。
「ダミープラグじゃない」
わたしはじっとエントリープラグを見つめ、八号機の挿入口に半分が外に出ているように慎重に戻した。完全に停止している八号機と背中を合わせるように座る。
シートの裏に身を乗り出してカバーを開け、びっしりと並んでいる非常操作ボタンの一つを押した。
視界が休止モードに変わり、プラグを固定していたロックが外れ、外に押し出される感覚がした。
操縦席の下からVVDを出し、リボルバーに全て弾丸が込められているを確認してから、外に出るためのハッチを開いた。 |