獣は囁く

第25章

 わたしは恐怖と悔恨に打ちのめされ、背後に迫ってくる殺人者の幻覚から逃れようともがいていた。
焼けた肺に空気を押し込んで、道のない急斜面を下り続けた。突き出した小枝や茨の刺が皮膚を裂き、血が流れる。髪は蜘蛛の巣をすくいとり、そこに枯葉がへばりついた。鉛のような苦い唾が尽きることなく沸きあがってくる。
ほとんど崖に近い斜面に膝が耐えられなくなり、枯葉のクッションのない坂を転がり落ちる。世界が回転を停止した時には悪水がよどむ泥の中に突っ伏していた。
恐慌状態に陥らないように必死で自分を守りながら立ち上がる。楡の大木の根に腰を下ろした。靴下も履いていない足に乱雑に走った切り傷から血が流れている。転げ落ちた崖の上をうかがい、追跡者の幻影を振り払った。
萎縮したファーストの肺では空気を吸うのもやっとだった。鼓動は不正確で、遅くなると意識が一気に遠のく。意識が再び彩度を取り戻すと死の気配はまた一歩、近づいていた。
生命の火は蝋燭のように小さく、暴風にさらされたように揺らめいていた。
動くために必要なあらゆるものが不足し、尽きていた。街まではまだ遠く、生い茂った草むらの向こうに僅かに見えているに過ぎなかった。
ついに顔を上げていることもできなくなり、瞳を閉じた。二度と目覚めたくもなかった。
気がつくと泥の中で眠っていた。夢の一つも見なかった。苦労して立ち、水溜りのうわばみで顔を洗って、意識がしっかりするのを待った。
自然と体が動き出し、斜面をおり始める。ヒカリのカタキをとることだけが全てだった。街で電話を見つけて、エリカに連絡するんだ。そしたらエリカがATフィールドで全員片付けてくれる。
ついに山を登る小さな道に出た。夕闇に沈み始めた街からヘッドライトが放出されていく。どの車も猛スピードでこの街から離れようとしていた。
かすかな放送が聞こえてくる。放送は一刻も早く町から離れるように警告していた。
少しばかり下っていくと、古い防災用具庫と避難所があり、そこに古い公衆電話を見つけた。受話器を持ち上げるものの、すぐにお金がないことに気がつく。
「はい、警察」
「内務省情報局につないで」
「あなたは?警報のことを知っていますか?」
「詳しいことを話してられないの。お願いだからつないで」
ちょっと間があった。
「君がいる場所は安全地域じゃないぞ。町から5キロは離れないと…」
「いいからつないで!内務省情報局!」
「落ち着きなさい」
「情報局の吉村か吉田トウジロウに、惣流アスカが話したいことがあるって。あなたが連絡して。私はここで待ってるから」
電話を切り、その場にへたり込んだ。山にさえぎられて街には早々と闇が落ちかけていた。その向こうの富士は今、美しさの絶頂を迎えている。
しばらくすると電話が鳴った。体を引き上げて受話器を取る。
「遅いのよバカ」
「惣流アスカなんだな。どこにいる?」
「ああ、あんたなのね。襲われた。すぐに援護をよこして。敵は武装してる」
「誰にだ。嘘をついているんじゃないだろうな」吉村は不審もあらわに言った。
「イギリス英語を話していたわ」
「SASか。なんてことだ。どうやって入国した」
「そんなことどうでもいい。できるだけたくさんの人をここと、ネルフ跡地に向かわせて、みんな殺されてしまう」
吉村が甲高いヒステリックな声で指示し、電話口に戻った。
「場所は特定できている。お前はそこにいるんだ」
「救援は両方に来るのよね?」
「救援はやるさ。だがお前は逮捕だ。アレは公務執行妨害になるんだぞ。二度と逃げられないようにしてやる」
「かってにしなよ」
電話を切り、地面にへたりこんだ。
街に暗闇が閉ざされるとビルには航空障害灯がともり、街から逃れる車の列はまばらになっていった。
とても寒く、膝を抱いて顔を埋めて身を震わせた。涙は出ず、かわりに深く切った右足のふくらはぎから血が踵へと伝っていった。死の気配は濃くなってわたしを包み、生の世界から引き剥がそうとする。
ゆっくり呼吸をすると動機がやや静まった。眼下ではヘッドライトの列が猛スピードで町を行くのが見えた。
背後の山にSASの連中が散らばっているのが分かっていたが、そのままにしておいた。
ライトの筋を上下させながら一台のバンが坂道を登ってくる。
私を見つけると停車してたっぷり30秒の間、わたしを照らした。家出少女のように身動きせずにいると、扉が開く音がした。
初めてそちらを見ると、吉村が腰のベルトから拳銃を抜きながら近づいてくる。
「綾波レイじゃないか。あのバカ女はどこだ」
「一人できたの?」
「あのバカ女はどこだ」
「敵がすぐ側にいるのよ」
「あのバカ女はどこなんだ!」
まったく力が入らなかった。吉村は舌打ちして、銃をベルトに戻してわたしを引きずった。古い舗装に足がこすれたが、麻痺し始めた体は痛みを感じなかった。
ヘッドライトが地面に二つの円を描いている場所まで来た。
第三新東京市に蛇が首をもたげるようにゆくりと火柱が持ち上がり、1テンポ遅れて爆発音が届いた。あっけない音で、赤い柱は飛散しながら崩れていく。
「はじまったぞ」
「シンジたちは無事なの?」
「戦略自衛隊ならSASが相手でも何とかするだろう。惣流アスカは?あいつは捕まったのか?」
「そうだったらどうだって言うの?」
「置いていくしかない。君が生きていればいい。あの女にはほとんど価値がない」
そのまま車のところまで来て、吉村が何かを言いかけると銃声がした。吉村は車に体をぶつけた。飛び散った血が深緑の塗装に飛び散ったかと思うと、わたしも倒れていた。
「ああ、くそ、撃たれた」
吉村は左手で顔を覆った。耳の上を銃弾が掠め、威力で裂けた皮膚がべろりと垂れ下がって耳に着きかけていた。
開いた扉の陰に隠れると、そこに銃弾が当たった。吉村は拳銃を抜き、車内に手を伸ばして無線を手にした。上等のスーツに血が黒い染みを作っていく。
「SASのやつらに発見された。救援をよこせ」
「一人で来たりするからよ」
「黙ってろ」
握りなおそうとした拳銃を血で滑らせて落ちた。わたしは手を伸ばしてそれをつかんだ。そのまま吉村の無事な方の頭につける。
「あんたは帰りなさい」
「何をする気だ」
「ヒカリのカタキを取るわ」
「相手はプロ中のプロだぞ。バカなこと言うな」
「あたしに殺されるか、SASに殺されるか選びなさいよ」
「ふざけるな」
引き金を引くと懐かしい衝撃が腕を伝わった。糸のような硝煙が流れて吉村の顔を撫でた。
「わたしは本気よ」
吉村は苦痛に歪んだ目でわたしを睨み、わたしが惣流アスカであることを信じ始めたようだった。
「このクズめ。その体が無くなったら我々はエヴァを操縦できる可能性を失ってしまうんだぞ」
「ご心配なく、そのうち新しいのが届くわ」
スーツの胸ポケットのハンカチを抜き取って顔の血を拭ってやる。
「わたしは、わたしらしく終わることにする」
道路わきの茂みに隠れているに違いないSASの様子を窺おうと首をひねると、吉村が抵抗をはじめ、軽すぎるファーストの体はなすすべもなく運転席に押し込まれた。
吉村が半身を外にだしたままギアをバックに入れてアクセルを手で押した。
バンが急発進して坂を後ろ向きに下り始める。途端に銃弾の雨が降り注ぎ、フロントガラスが砕け、火花を散らしながらフロントに無数の穴を穿った。
運転手のいないステアリングがぐらぐらと動いた。わたしは狭い運転席の床に押し込まれて身動きもままならないまま、足で押さえる。
バンは重力の力を得てますます加速し、狭い坂道を奇跡的にどこにも激突せずに走る。
ロケット弾がフロントガラスを突き抜けて車内を通過していく、その直後に爆発が起こり、バンは爆風で浮いたが、慣性で爆煙の中を突っ切った。
着地して跳ね上がったバンは完全に制御を失い、カーブを外れて草むらに突入し、木立に激突して止まった。
その衝撃で浮かんだ体は運転席の床に寝ていたことが幸いしてシートの上に着地した。
捻じ曲がった扉から外に転がり出る。彼は投げ出され、坂の途中に大の字になっていた。そのままピクリとも動かない。
膝を突いたまま見ると、坂の上の闇からSASが現れた。彼らは駆け下りながら吉村を発見すると、躊躇なく弾丸を浴びせた。
街はずっと近づき、激しい銃声と爆発がいたるところで沸きあがっている。
わたしは逃げ出した。
ヒカリの恨みを晴らして死んでやろうと思っていたのに。もう怖くなったんだ。

 第三新東京市は関東の外れの小都市から戦争の中心へと変貌しつつあった。SASは旧ネルフの外郭防御線、地下空洞へと至る出入り口を占拠し、戦略自衛隊の緊急出動部隊、ESUがそれを取り囲んでいた。
ヘリのサーチライトが地上を這い回り、完全武装のESUが光を避けるネズミのように建物の陰から陰へと移動している。地下通路を移動するSASが神出鬼没に現れて攻撃を加え、それに応戦する銃声と爆音が兵士だけしかいなくなった街にとどろき渡った。
飛び交う弾丸がさっきまで夕食を楽しむ客でいっぱいだったレストランの窓を砕き、エンジンがかかったままの車は熱誘導のロケット弾に襲われて火を吹き上げる。
わたしはボロボロの難民そのものに戦闘を避けて中心部へと這いずっていった。その途中にESUの隊員に保護され、南34条と東12条の交差点に造られた本部へと連れて行かれた。10年前、下校中にヒカリとよく行った喫茶店は和風の軽食を出すチェーン食堂に変わっていて、隣のファンシーショップは携帯ショップになっていた。
民間人の収容所になった携帯ショップには避難命令を防災訓練程度に侮っていたか、本当に逃げ遅れた人たちが身を寄せ合っていた。彼らは隊員に支えられ、泥と血にまみれた新入りのわたしを見ると息を呑み、親とはぐれた子供が激しく泣き出した。
若い隊員がわたしの名前を訊ね、彼は上司を連れて戻ってきた。わたしはその時点で特別扱いとなって防弾壁で仕切られた部屋に連れて行かれた。
マットの上に寝かされ、救護班に傷の手当てをしてもらっていると、さっきの隊員がホットの缶コーヒーを差し出した。
「あなたがエヴァのパイロットをしていたなんて知りませんでした」
「わたしのこと…知ってるの?」
ええ、とその若い隊員ははにかんだ笑顔を漏らした。「ヴィテーヌのCM見ましたよ」
「それ…放映されてる?」
「されていますよ。今日も出動する前に見ました」
ファーストライト芸能事務所の面々が上手いことあの写真を処理したのだろう。与田サンタの禿げた頭が浮かび、今ならあの脂ぎった頭を撫でてやってもいい。と思った。
次に会うことがあれば。だけれども。
「私にはよく分からない世界ですが…元の体に戻れるといいですね」
隊員は言ったが、わたしに起こり始めた変化には気がついていないようだった。
舌がこわばり、手足が急速に冷えていった。
もどったところで、どうにか喋った。
「わたし…モデルとして終わっているの…人間としても」
遠くで大きな爆発が立て続けに起きた。隊員たちが色めき立って奔走し始める。
若い隊員はわたしを慰める言葉をかけて去り、かわりに負傷した兵士たちが担ぎ込まれてきた。彼らは腕や腹に熟れた柿のような傷跡を負っていたが、興奮のために痛みを感じず、大声で敵を罵りちらした。
救護班が直ちに彼らの治療に取り掛かる。
わたしは頭が冷え切って気分が悪くなった。嘔吐が込み上げてきたが、小さくえずいただけだった。
救護班は弾丸で腕を失った兵士の集中し、その他の者は敵の動向を探るのに躍起になっている。周囲は騒然としていて誰もわたしを見ていなかった。
死の気配が毛布のように覆いかぶさってきた。騒音が小さくなり、景色が別世界を見るように現実感を失っていく。
心臓は痙攣と変わらない鼓動で死への最後の抵抗を試みていた。
動き続ける心臓から弱っていくのね。漠然と思い、意識は自然とファーストの事へとつながっていった。こんな状態で10年間もいたなんて。
救護隊員がわたしに気がつき、駆け寄ってきて、脈を取り、すぐに搬送しろと大声で騒ぎ始める。彼らは強心剤を打つかどうかで、小さな口論をはじめ、反対している方がこの人は特別なんだからと言っている。
アンプルが折られ、注射器の針が腕の血管に添えられると、誰かがそれをつかんで投げ捨てた。
「何考えてるの!強心剤なんて打ったら、逆効果よ!」
わたしは睡魔を押しのけて目を開いた。「ああ、ミサト。おかえり」
しっかり、ミサトは言ってわたしを抱き起こした。
シンジとシゲルがわたしを見ている。わたしの体に入ったファーストもいた。
「別荘に帰るまでがまんして」
毛布で包まれるとどういう理由か少し楽になった。ESUの隊員たちはSASの救援に現れたロシア兵たちの対処に追われている。
「シンジ君、アスカを背負ってあげて」
青い拳銃のリボルバーをスライドさせると金色の薬莢が滝のように流れ落ちた。
SEUに守られながら指令本部を出た。わたしはシンジに背で揺られながら、別荘が襲われたこと、伊吹マヤが敵に内通していたことを告げた。
ミサトはそれを知ると「そんなことだろうと思っていた」と呟いた。
隊員たちが装甲車に分乗し、ミサトがジープの扉を開けた。シンジはわたしを背負いなおすと、乗り込む寸前に動きを止めた。わたしは再び目を開いた。
悲鳴のような高音が五感を超えて脳に響いてくる。
「この音…なに」
「アスカにも聞こえる!?」
全員が集まってきた。顔を見合わせて、誰かが原因を教えてくれるのを待った。いつしか銃声は止み、わたし達は世界から取り残されたような静寂の中にいた。ひどい高音だけが生き物のようにのたうちまわっている。
そしてミサトが小さな叫び声を上げた。漂白するように顔が白くなっていく。
「やられた。まんまとやられた。手ひどいドジをしたわ。誘い込まれたのよ」
シンジが辺りを見渡して爆弾か未知の兵器を探した。
「ミサトさん。この音は一体なんですか。どこから…」
わたしの姿をしたファーストが喉を露にして空を仰いだ。
「空よ」
「イギリスの衛星レーザーにロックされた」
ミサトが呟くと同時に空から落ちた光が、全ての闇と陰を追い払った。
網膜を焼くほどの光がわたし達を包み、静けさが降りた。
「ああ」と誰かが言った。
強烈な光が収束して空気が振動をはじめ、気圧が変化していくのがわかる。
チリが重力に逆らって舞い上がる。ビルの窓ガラスが全て割れ、破片は光の中へと吸い込まれていった。
宇宙空間では衛星レーザーの射出ノズルの先に、まばゆい光球が繭のように膨れ上がった。光球が臨界点に達し、一条の軌跡が静かに放たれる。
視覚、聴覚、嗅覚と消えていき、最後に残された触覚にすがってシンジの肩にまわした腕に精一杯の力を込めた。シンジはわたしの手をつかみ、強く握り返したが、それも消えていく。
視界の端から影が飛び出した。光が遮られて真っ暗な闇に包まれた。すると地面が大きく揺れ、シンジの背中から落ちそうになった。
闇に順応する視覚が巨大な人影をとらえる。
それはこちらに背を向け、天からの祝福を受け入れるように両手を広げて、私たちの前に立ちふさがった。
ギーンと音がして音域が高まり、そして聞こえなくなった。金属の焼ける匂いが立ち込め、巨大な縞模様の六角形の膜が街の空に花開いた。
そこに大気を燃やしながら振り落ちてきた光線が激突する。
おもちゃ箱をひっくり返すように地面がゆれて突風が吹いた。不安定なものは全て倒れ、電線が切れ、スパークの閃光がいたるところで起きた。
獣の足が地面にめり込んで行く、獣は咆哮をあげる。
空っぽのドラム缶を叩いたような音がすると、白熱した光の塊りは空へとはじき返された。
獣は両手を広げたまま激しく呼吸をし、白い煙となって立ちのぼる。ATフィールドが消え、ゆっくりと両手を閉じた。
「エヴァ」とミサトが口を開いた。
「パイロットは誰だ?」とシゲル。
「ダミープラグで動いてる」シンジが続く。
その声に答えるようにエヴァは猫背になりながら次の目標を探し始めた。赤く光る目が夜空に尾を引く。
どこからか飛んできたロケット弾がエヴァの顔面を直撃し、エヴァは大きくのけぞった。エヴァは蠅を払うような動作をすると、怒りに満ちた咆哮を上げてビルをたたき崩し、SASの人間を下敷きにする。
そして暴走が始まった。
エヴァンゲリオン10号機はSASからの反撃を受けながら都市を破壊し始めた。わたしはシンジの手を握っていることも忘れたまま、ほとんど失いかけている意識の中で黒い装甲に鎧われたエヴァンゲリオンを見つめていた。
エヴァはこちらを見つけると、猿のようにしてこちらに接近してきた。
「別荘へ逃げるのよ!」
全員が我に返り、ESUの人間とごちゃ混ぜになってジープに乗り込み、別荘へ向かって出発した。ESUの装甲車が一台、その後に続く。
「アスカ、しっかりしてよ」
シープの後部座席でシンジはわたしを抱きながら言った。それを聞いたESUの医療隊員が自分が診ようかと申し出た。
「僕が見ているから大丈夫です」
とシンジが言った。
僕が見ているから大丈夫。か。
それも悪くないかも。

別荘に到着すると、全員がリビングに放置された2つの死体を見て言葉を失った。
「おろして」
「でも」
「いいから…」
シンジの背中から降りるとひどく寒くなった気がした。ミサトはファーストの体を納めたカプセルをザックから取り出しながら、地下室に行くように促したが、わたしだけは従わなかった。
壁で体を支えながら、ヒカリのところへと歩いていった。
ヒカリの遺体はガラスにまみれたたまま、窓際に倒れていた。すでに蝿に発見されてしまっている。追い払われた蝿はすぐ側のマコトへとたかった。
ヒカリはすでに冷たくなって硬直が始まっていた。抱き起こすと乾きかけて粘ついた血が手についた。
涙が溢れて止まらなかった。震える手で突然の死の驚きに見開いた目を閉じてやる。蝿が頭や手や顔に止まったが首を振る気力すら残されていなかった。
泣きじゃくっているわたしの側に誰かが立った。顔を上げると見知らぬ男が見下ろしていた。
「だれ」
問いかけても男は答えず、ヒカリを見ていた。目だけが動いてわたしをとらえた。
「レイ」
「声…碇指令」
「ようやく見つけたぞ」
「レイじゃない…アスカ」
ゲンドウは黙り、苦々しい顔になった。
「葛城め。そういうことか」
ゲンドウが地下室へと去っていき、わたしは目を窓へと向けた。第三新東京市は燃え上がり、その中で影絵のようなエヴァが動き回っているのが見える。
シゲルが地下室から上がってきて、側まで来た。
「アスカ、地下室へ行くんだ」
「いや…ヒカリの側に…」
そこでヒカリから引き剥がされて、抱きかかえられたまま地下室へと運ばれた。
地下室ではゲンドウが円筒の水槽の前に腕組みして立ち、片方に浮いているわたしの体を見ていた。ミサトはもう一方の水槽から牛乳のように白くなった3歳児の体を引き上げている。
「失敗したんだ」とシゲルが呟いた。
シンジは父親に見られない背後に回り、隅で小さくなっている。
ミサトは3歳児の遺体を運んできたカプセルに入れて蓋を閉じた。
「アスカ、体を元に戻しましょう」
「この体…もういくらも…持たないよ」
「わかってる。でも他に体はないのよ。本来の持ち主に返すだけ」
ミサトは血が出るほど唇をかみ締めた。握った拳が震えている。強く握りすぎて真っ白になっていた。
「どうして失敗したの?」
「体が思ったよりずっとダメージを受けていたのよ。酸素も十分じゃなかった。わたしのミスだわ」
ゲンドウが振り返った。「早く戻せ」
LCIの中のファーストが目を開いてゆっくりと頷いた。
「わたしはこのままでもいいけど。もう生きてるのが嫌になった」
ゲンドウは今度は息子を見た。「シンジ、この女を装置の中に入れろ」
抵抗したかったけれど、そんな力はどこにも残っていなかった。シゲルとシンジに担ぎ上げられてLCIの中に沈められた。
装置が作動すると、すぐに意識がとんだ。