獣は囁く
第24章
「また爆発だ」
二度目の爆発で部屋全体が揺れて積もった埃が天井から落ちてきた。
用具室の照明が反転して赤くなり、耳障りな警報の音が鳴り始める。
(侵入者。職員は警護装置を作動させてください。警邏班はP34ブロックから38ブロックに集合せよ。繰り返す。侵入者。職員は警護装置を作動させてください。警邏班は…)
「誰かが襲ってきたんだ!ミサトさんと合流しないと」
「おちついて。碇君」
「落ち着いてなんていられないよ!」
「この区画はすでにベークラフトで閉鎖されているわ」
碇君はバッグをひっかきまわして拳銃を手に取った。「もしもここまで来られたら、逃げ場がない」
窒息も餓死も平気なのに、銃で撃たれるのと何が違うんだろうと私は思った。
それっきり爆発は起こらなかったけれど、警報はなり続けた。
かなりの時間が過ぎ、警報にも耳が慣れてしまった頃、外に出ていた碇君が戻ってきた。
「誰か来た。扉を壊そうとしてる。綾波はここにいて」
拳銃のリボルバーを開いて仕切りに弾が詰まっているのを確認してから、外へと出て行った。
私が部屋から顔を出すと、碇君は扉に向かって銃を構えていた。扉の上のほうが電機カッターで削られる音がしている。固まったベークラフトと天井には空間があって、そこを這って誰かがやってきたんだろう。
そのうちに扉から回転する円盤が姿を現した。それはゆっくりと鋼鉄を切り裂いて四角い切れ目を入れていった。
四角にくりぬかれると、扉の一部がけり落とされた。そこから葛城さんが顔を出す。
「二人とも無事だったのね」
「何が起きているんですか?」
「誰かがネルフに侵入してきたのよ。警備システムを作動させたことを考えると、ネルフの関係者じゃない。たぶんヨーロッパの連中ね」
「僕たちを殺す気なんですか?」
「ええ、そうよ。早く下へ行きましょう。停止しかけた警備システムがSASを撃退できるとは思えない」
「SAS?ロシアの人たちですか?」
「ちがう」葛城さんは押し殺した声で言った。「英国空挺部隊。アメリカのシールズやグリーンベレーと同じ、特殊任務を行う部隊よ。そして文句なしに世界で最も優秀な部隊よ」
「英国!?イギリスも僕たちの敵なんですか?」
「ヨーロッパ連合では消極的な立場だったけれど、腹を決めたってことよ」
「どうして」
さあな。青葉さんが電気カッターのバッテリーの箱を肩に載せた。
「各国首脳はすでに外交戦争を始めてるんだ。俺たちが知る方法はないよ」
「マコトさんに連絡は?」
「無線が通じない。別荘もやばいかもしれないな」
「進みながらでも話せるでしょ。急ぐわよ」
私達は電気カッターで扉を破りながら奥へと進んだ。一抱えもあるカッターを担いで歩く葛城さんはエヴァを連想させた。
最後の扉を突破してエレベーターホールにたどり着くと、明かりが灯った。
「マギ、聞こえる?」
(エレベーターを呼びます。少々お待ちください。葛城三佐)
「上にいるのはSASで間違いないわね」
(情報が不足していますが、そのように思われます。葛城三佐)
「撃退できる?」
マギは困ったように間を置いた。
(無理です。葛城三佐)
「なら、何とか外部との回線を開いて日本政府に救援を要請して」
(拒否します)
「なんですって?」
(日本政府はすでにネルフを擁護する立場にありません。こちらを攻撃する立場にあります)
「そんなわけないでしょう!エヴァは日本にあるのよ」
青葉さんが葛城さんの袖を引っ張った。
「マギは10年前を忘れていないんですよ。きっとあの時の命令がそのまま残ってるんだ」
「マギ、それは10年前で今は状況が違うのよ」
(警備対象指定の変更には筆頭管制者の認証が必要です)
「リツコはいないわ」
(日本政府は敵です。葛城三佐)
その言葉には感情がこもっているように聞こえた。捨てられ、死体だらけの暗い地底に閉じ込められた女の恨みに満ちているようだった。開発者とその娘の恨みを代弁するかのように。
葛城さんはもう諦めたようだった。その証拠に「強情なところがリツコそっくり」と呟き、そして新しい質問をする。
「ここにたどり着くまでにどれくらい時間がかせげるかしら?」
(稼動中のシステムをすべて侵入者への対処に向けています。計算できますが、そちらの対応が遅くなります。葛城三佐)
マギは元の感情のない冷たい声に戻ってこたえた。
「なら対応に全力を傾けて。今、彼らはどこにいるの?」
(彼らは本部の正面入り口を爆破しました。現在はP1にいます。電力を彼らの対処に使ってもよろしいですか?葛城三佐)
「そうして」
葛城さんが答えると同時に天井の照明が落ちて真っ暗に戻った。
「マギ、がんばってよ」
マギからの回答はなく、地の底からエレベーターが上がってくる音がする。葛城さんは肩に負っていたカッターを投げ捨てた。
異世界への入り口が開くようにエレベーターの扉が開き、私達は素早く乗り込んだ。
「目的地までひとっとびよ」
私達をのせたエレベーターは階層表示も出さないまま、きしり、唸りながら、地下の奥深い場所まで降りていった。
葛城さんと青葉さんは顔を緊張させて、全身に気を配って僅かな変化も逃すまいとしていた。
僅かな振動を残してエレベーターはP7に到着した。明かりは灯らず、1ミリ先も分からない闇だった。懐中電灯で照らすと、まったく装飾のない通路が浮かび上がった。壁には手すりも火災警報のボタンもなく、天井にはそもそも電灯すらなかった。
足音を響かせながら進み「人工進化研究室」のドアの前に立った。
葛城さんは肩と首の間に懐中電灯を挟んで手元を照らして、カードキーを抜き出した。そのカードに描かれたエルフのマークは赤でなく黄色だった。
それをチェッカーに通して私を見た。
「レイ、ここからはあなたが案内して」
「わかったわ」
私は先頭をきって中に足を踏み入れた。
不思議な感覚がこみ上げてきた。その部屋は14年前、私がここを出て一般居住区へと移った日のままだった。
簡易ベッドがあり、その上でくたびれた包帯が蛇のようにとぐろを巻いている。スチールの机の上には錠剤の山とコップ代わりのビーカー。折りたたみ式のスチールチェアの背もたれにはタオルとズボンがねじれてかかっている。排泄のためのおまると、それを入れるための袋は部屋の隅にうずたかく積まれている。数々の医療用具が床に散らばり、酸素吸引用の太いゴムチューブがソーセージのように、吊り台からぶら下がっている。その足元の箱に点滴パックが、空のと、未使用のとごちゃ混ぜになって入っていた。
「なんだここは?」と青葉さんが言った。
「私の本当の部屋よ」そう答えて14年前と同じように部屋を歩いた。ここには鏡がなく、欲しいと思っていたことが蘇ってきた。
私の生命活動が安定し、緊急点滴や突然の昏睡を起こす心配がないと判断された10歳まで私はこの部屋にいた。
ゆっくりとベッドに腰をかけた。残りのみんなは立ったままそれを見ている。部屋の全てが縮んでしまったように思える。それは流惣さんの身長が高いせいだ。
シーツの皺に沿って指を走らせると、碇君が訊いた。
「綾波はこの部屋で何をしていたの?」
顔をそちらに向けると髪が顔に沿って流れた。その音が聞こえるほど静かだった。
「寝たり、食べ物を食べたり、それから、治療をしたり」
「治療?」
「血圧を測ったり、点滴や、輸血もしたわ。それに手術もした」
「病気だった?」
「たぶん、そうよ。輸血は毎日毎日、体の血が全部入れ替わるぐらいやったわ」
「でも、治ったんだ」
「治ったわ。最後の日に赤木博士がMRIで私を検査したの、それで一般居住区へ移った」
「MRIって体を撮影するやつ?」
「ええ。とても高性能なMRIだって言っていたわ。それでないと、検査ができないんだって」
青葉さんが疑問の目で葛城さんを見た。葛城さんはそれを受け止めると静かに首を振った。
「リツコはマギとエヴァのこと以外はあまり話さなかったわ。特にレイの事は何も教えてくれなかった」
「赤木博士は私のことをとても嫌っていたわ。ある時、足の骨が急に変形して歩けなくなったことがあった」
全員が私の言葉に耳を傾けている。私が思い出を語るなんて。という表情をしている。私自身も驚いている。けれど言葉は止まらなかった。
「急に骨が変形して腿の骨が膝を圧迫した。動いただけで全身が痺れるぐらい痛かった。赤木博士は言ったわ『手術して欲しかったら泣いて頼みなさい』って。私は泣きも、頼みもしなかった。そのままほったらかしにされて、ある日、ついに気絶してしまったわ。
目が覚めると、このベッドの上にいたの。手術中で、赤木博士が一人で執刀していた。頭がぼんやりして膝が燃えるように熱かった。博士は私に気がついてマスクをつけた顔で横目にこちらを見て『麻酔は効いてる。規定量の半分だけね』と言ったわ。
博士が小さく唸ってメスに力を入れると、血がマスクに飛び散った。博士は肩でそれを拭いた。膝の熱さが全身に広がっていった。器具を持ち替えると、ゴリゴリ音がして、熱さは痛みに変わった。全身が固定されていて身動きできなかった。意識が飛び飛びになって、その間ずっと天井を見ていたわ」
私が視線を上げると、葛城さん以外の全員がそれにつられた。
「ゴリゴリいう音はずっと続いた。博士が手を止めてこちらを覗き込んだ『痛いでしょう?』って、言った。私は黙っていた。『もっと痛くすることもできるのよ。ゆっくりやれば麻酔が切れてくるわ』そうも言った。それでも私は黙っていたわ。本当に痛くて、何も考えられなかった。ついに気を失ったの」
私はそこで言葉を切った。今は全員の顔がこわばっている。続きを聞きたがっている顔だった。
「次に目を覚ましたとき、博士は傷の縫合をしていたわ。ひと針縫うごとに、私の顔を叩いていた。足を治療しながら、私の顔を殴っていたの。恐ろしい顔をしていたわ」
葛城さんが顔をそらした「あのバカ。陰険な女」
青葉さんは首を振った「聞かなきゃよかった」
碇君は隣に来て私をそっと抱き寄せた「綾波」
私は空洞になった心でそれを受け止めた「そしてMRIを受けて地上に出た」
「レイ、あなたは心に傷を受けたのよ。リツコにそんな暴力的な嗜好があるなんて知らなかった」
「博士は暴力的ではないわ」私は言ったが声が上ずっていた「誰かを深く恨んでいた。とても深く」
「もういいよ」碇君が腕に力を込めた「そんなことは言わなくてもいいんだよ」
私達は部屋を出た。まっすぐな通路を進む間、葛城さんが独り言のように呟いていた。
「レイ、あなたには別の人生があるわ。私たちが必ずそれを用意してあげる。だから許して」
答えるべき言葉がみつからず、黙った。言葉にたどり着くより先に最後の扉についた。一切のマークも開錠装置もついてない扉だった。
「最後の扉よ。シゲル君。あなたは脱出の手はずを整えておいて」
「ネルフ本部に出たら、敵が待ち受けていたりしなきゃいいけど」
青葉さんはそう言って、廊下を引き返した。
「脳波認証を作動させるから、心を穏やかにして」
「どうすればいいの?」
「シンクロテストと同じ要領で」
目を閉じたまま数秒が立つと、何かが心の中を探るような感触がした。と同時に扉が勢いよく横にスライドした。
「わ!」
碇君が尻餅をついた。
女の子が目の前に現れた。やっとその後の成長がうかがい知れる程度の、まだほんの幼い子供。幼児の私は水槽に浮かんでいる。指は水を握っているように軽く閉じられていた。ここにいれば永遠の安息の眠りが保障されているかのような優しげな寝顔をたたえている。
私はもう一人の自分で、明日には私になっている私の顔をじっと見つめた。
「レイ、大丈夫?」
「大丈夫よ」
「碇君、ここから出すのを手伝って。レイは下がっていて」
バッグから金属のカプセルを出して液体を注入している葛城さんがいて、碇君は落ち着きなく体の方向を変えながらガラス壁の向こうの子供をちらちらと見た。
「ミサトさん、平気なんですか?」
「平気って何が?SASのこと?」
「それもそうですけど、綾波のこと」
「疑いはあらゆる失敗の原因なのよ。信じなさい」
ガラスが丸く切り取られると、保存液が流れ出した。傾いた子供の私を碇君が受け止めた。葛城さんが小さな鼻に慎重にビニールチューブを通してから、鼻の穴を塞いで受け取り、ゆっくりとカプセルの中に沈めて蓋を閉じた。蓋はぴったりと閉じ、空気が注入されると継ぎ目が消えた。
「別荘に帰りましょう」
青葉さんが私の部屋で待っていた。葛城さんが背負ったバッグをたたいて頷いてみせた。
「P6まで戻ろう。そこから本部へ直通のエレベーターがある。エヴァ用の巨大エレベーターだ」
「もう地上は日が暮れるわ」腕時計を見て葛城さんが言った。もうそんな時間?と碇君が驚いた声を出した。
「暗くなるまで待ちますか?」
「本部が暗いから同じことよ」
「じゃあ、行きましょう」
階段で1階層をあがり、エヴァ運搬用の巨大なエレベーターに乗り込んだ。
「マギ、SASの様子はどう?」
(P1からP3までに散らばっています)
「P1にはどれくらいいる?」
(25名)
「多いわね」
「こんなデカイのを動かしたら、すぐに連中にばれますよ」
「保存カプセルの酸素は数時間しか持たないから、あまり長くこうしていられないわ。SASは私たちを見つけるまでは絶対に引き返さないでしょう」
私たちを入れた巨大な空間がうなりを発して地上へとのぼり始めた。全員が隅にかたまってお互いに視線を交わした。
「いい、本部についたら全力で走って、何としても本部を抜けて地上に出るのよ。たとえ離れ離れになっても探さないこと。落ち合うのは別荘よ。特に碇君とレイ。あなたたちは絶対にたどり着いて。もしも私たちが戻らなかったとしても、マコトとマヤの二人が仕上げてくれるから」
私も碇君も答えなかった。碇君は拳を握ってバツ印が並ぶ床を見ている。
葛城さんはジャンパーの前を開いてホルスターから青い拳銃を引き抜いた。ジッパーを上げ、首から下がった薬莢のネックレスを握り締め、中へ押し込む。
「さあ、やるわよ。作戦はシンプル。逃げるが勝ち。ってね」
腹に来る揺れを残してエレベーターが止まり、巨大な壁がゆっくりと開いた。 |