獣は囁く
第22章 綾波レイ
それは爆発といっても小規模のものに過ぎなかった。天井が裂けて破片が床に落ちる音が暗闇の向こうからする。
「今の音はなに」
葛城さんがライトを動かして天井の爆発があった場所を探す。
「あれは」
天井に起きた異変を見て青葉さんが震えた声を出した。まるで皮膚をはいだ後のように鋼板に変わって真っ赤な板が見えている。
「ベークラフトよ!」
葛城さんの声がきっかけになったかのように、血の色をした天井、通路閉鎖用のベークラフトの底が凝固したもの、がピキピキと音を立て、縦横に亀裂が走っていく。
「戻って!」何百トンもの重みを支えた板が耐え切れずに割れると、液状のベークラフトが滝のように流れ落ちて、赤い奔流となってこちらに向かってきた。
警護装置が作動して全力で道を引き返す目の前で扉が閉じ始めた。
葛城さんに続いて青葉さんが通り抜けると、すでに扉は半分閉じていた。「早く!」青葉さんがこちらに手を伸ばす。私の後には碇君がいた。
手の届く範囲に達した時には隙間はすでに私がどうにか通過できるまでに狭まっていた。私は立ち止り、扉が閉じるのを見守った。
「おい!早く!」青葉さんが叫ぶ。
「碇君が取り残されてしまうわ」
青葉さんの手が扉の向こうに引き戻されると、碇君を見た。「綾波」呟く碇君の肩越しに津波のようなベークラフトの渦が迫ってくる。
私達は別の方向へと駆け出した。
潜り抜けた扉が閉まると、ベークラフトの波が扉を打ちつける鈍い衝撃がした。
「危なかった」碇君は両膝に手を置いて息を荒げている。
「バラバラになってしまったわ」
「どうしよう」
「進むしかない」
静かに言うと、惣流さんとそっくりの尖った口調になった。今は惣流さんの体になっているのだから当たり前だけど。あの人は私が思っているほど、つっけんどんで、全てに腹を立てているわけじゃないのかもしれない。
天井に注意しながら狭い通路を通っていくと、扉が閉じていて引き返した。するとさっきまで開いていた扉も今は閉じている。
「閉じ込められた」碇君が泣きそうな声で言った。
「ここではまだ警備装置が生きているのね」
「僕たちは侵入者と思われてるのかな」
「きっとそうね」
「ミサトさんたちと合流しないと」碇君が無線機のスイッチを入れると雑音が流れた。それは飴のようにぐにゃぐにゃとねじれながら、次第に人の声になった。
「ミサトさん。聞こえます」
「碇君、無事だったのね。レイは?」
「無事ですよ。でも閉じ込められてしまったんです」
「今いる場所はどこだかわかる?」
碇君は通路の壁を手前から照らしていった。「C56通路です」
「わかったわ。ほとんどの通路がベークラフトで閉鎖されてしまったみたい。固まるのを待ってからそちらへ行くわ」
「どうやって?」
「時間はかかるだろうけど、迂回して行く」
「待ってます」
「そこにいて動き回らないようにして、警報を作動させたらベークラフトが落ちてくるわよ」
「作動してしまったら、どうしたらいいんですか?」
葛城さんは一瞬だけ黙った。
「作動させないようにして」
通路の先には小さな扉がいくつか並んでいたが、警報装置が作動するのを恐れて確認するのは止めた。私たちは通路を挟んで向き合って座りながら、葛城さんの到着を待った。懐中電灯のスイッチを切ったので、周囲は完全な闇だった。
「綾波」碇君がびくびくした声で言った。
「なに」
「綾波は本当に、その、3歳児になってしまってもいいの?」
「みんながそうして欲しいなら、そうするわ」
「周囲のことじゃなくて、綾波の気持ちだよ」
「碇君はどうおもっているの?」
僕?闇の向こうからそう訊き返した。
「僕は…複雑、かな。綾波には生きていて欲しいよ。でも3歳じゃ他人みたいだ。僕のことを覚えていなかったら、どうすればいいのか…」
「私はいや」
「僕を覚えていないこと?」
「生きること」
「生きていたいと思わない?」
「ええ」
「じゃあ、どうしてこれまで生きてたのさ?10年間でいつでも、そのチャンスはあっただろ。嫌な言い方かもしれないけど、自分で…僕は覚悟してたんだ。そんな時が来るんじゃないかって、でもそんな真似は一度もしなかった。怒った?怒ったらごめん」
「碇君が悲しむから」
「僕のために?」
「そう」
碇君は黙った。彼の呼吸が身近に迫ったような気がする。私は膝を抱いて惣流さんの滑らかな膝の上に顎を置いた。
「それ以外に何があるの」
「僕は、このままでもいい。このままここに閉じ込められたままになってもいい。綾波と一緒なら、このまま餓死か窒息してもいいんだ」
「私もよ」
暗闇から気配が近づいてきて、私は反射的に懐中電灯のスイッチを入れようとした。抱きしめられた拍子に懐中電灯が手から滑り落ちた。
「綾波」
碇君の体は走り回った後の熱を帯びている。私は自分の体が痩せ細っておらず、適度な筋肉と脂肪とに覆われている実感がした。
それに気がつくと、腹部に鋭い痛みが走り、体が凄い勢いで熱くなっていった。体が反応している。と私は思った。生命の維持だけで精一杯の本当の体では絶対に無理な反応。昨夜の行為の最中にすら感じなかった、体の内から噴き出してくる熱を。
「綾波には生きていてほしいんだ」
「そう願うなら、そうするわ」
体から怒涛のようにこみ上げてくる感情に私は戸惑った。首に熱い息を感じて顔をそむける。
「ダメよ」
碇君は答えず、再び顔を近づけた。胸から広がる痛みが全身をつきぬけ、私はさらに顔を遠ざける。
「ダメ」
言ったものの、惣流さんの体はすでに戸惑うほどに熱くなっていて、行為を始めろと猛烈に私に訴えかけてくる。
そうなのね。惣流さんも碇君のことが好きなのね。
(正常な女の子はそういうことがしたいもんなのよ?ヤリたきゃヤればいいんじゃない?感度の方もなかなか、それは保証する。)
惣流さんの体が私に語りかけ、すぐにそれが惣流さんの声を借りただけの自分の言い訳だと気がつく。
碇君の体をおしのけ(ほどほどに)こういう戦いは始めて。と私はぼんやり思った。
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