獣は囁く
第21章 綾波レイ
夕日の赤い光が一面を染めている。24年間に新しく出来た海岸線に沿って作れたビーチラインが白糸のようにまっすぐ続き、私と碇君、葛城さん(彼女は10年前のように呼ばせてくれなかった)、それに青葉さんを乗せた車が猛スピードで走っていく。
日は私たちの背後から左側にかけて広がる水平線の向こうに沈みつつあった。穏やかな水面からビルが半分、海水に浸ったまま上に伸びていて、その影が水面に縞模様を描いている。闇はその彼方から早足で迫りつつある。
私のいる後部座席の窓は少しだけ開いていて、そこから冷気を含んだ風が吹き込んでくる。その冷気は潮の香り、涙の匂いがする。
私はそれら全てを惣流さんの目や鼻や肌で感じている。
有害物質の薄い遠洋での漁を終えた漁船が並走して港への帰路を進んでいるのが見えた。その甲板に翻った大漁旗の模様を見るために首を傾けると、長い髪が風に乗って顔のまわりをバタバタと暴れる。
私は髪を手に取り、一本一本を確かめるように指でこすりながら見つめた。それは赤い絹糸のように美しく、しなやかだった。
惣流さんの体は健康そのものだ。この体のどこにも死の気配は染みていない。全てが鮮やかに見え、音には活気があり、肌は触れるもの全てに敏感に反応する。
「綾波?」
隣の碇君に呼ばれて、顔をそちらに向けた。
「なに?碇くん」
その、と碇君は言葉につまった。「体の調子はおかしくない?」
「平気よ」
私がいくらか自然に出せるようになった微笑みを浮かべると、碇君は珍しい物でも見るように私をじっと見つめて俯いた。
「すごく変な感じだ」
その様子をバックミラーで見ていた葛城さんが前座席のシートの間に身を乗り出した。
「ねえ、他人の体に入るってどういうカンジ?他人の服を着てるみたい?」
「よくわからないわ」と私。「少し世界が違って見えるだけ」
葛城さんはふーんと鼻を鳴らして私をじろじろと見た。
「おしとやかなアスカってこういう風になるのね」
葛城さんと青葉さんが無線で日向さんと話している間、膝の上のバッグの位置を直した。
中には着替えが詰まっていて、ネルフについたらおちらに着替えるように洞木さんに言われた。今の私は新品の黒いツイードのスカートに、ジミー・チュウという変な名前のメーカーの殆どが紐で構成されている機能性と安定性のまったくない靴、袖がないのにハイネックのセーター。寒かったら羽織るように言われた薄紫のストールを肩にかけている。それは実際、とても薄いのにとても温かかった。
私が地下室で目を覚ましたとき、惣流さんはすでにおらず、碇君だけが側にいた。それから仮眠をとり、出発の用意で自分の服に着がえた。ズボンの足も上着もキツくて、かなり苦労したけど、他に服なんてないからどうしようもなく、なんとか着替えて顔をあげると、洞木さんがバッグを提げて立っていた。
「そんな格好で外を歩いたら、アスカに何て言われるかわからないよ」
洞木さんはバッグと着替えを差し出した。
「アスカは大丈夫?」
碇君の質問に洞木さんは悲しそうに微笑んで「ベッドから出てこないの。話しかけると答えるから。きっと大丈夫」そう呟いてちらりと天井を見た。
朝、私より遅れて地下室に来た惣流さんは疲れきっていて、だれの顔も見ようとしなかった。葛城さんたちの言葉に返事はしていたけど「うん」と「わかった」以外の言葉は言わなかった。
手を見つめてみる。きれいにマニキュアの施された爪は根元が少し伸びてしまっている。
「夜までもう少し時間があるわ。コンビニに寄って腹ごしらえしていきましょう」
ビーチライン沿いのコンビニに車を止めると、私以外の全員が車から降りた。碇君が車内に顔を入れて訊いた。
「綾波はいかないの?」
あまり空腹は感じていなかったけれど、外に出てみた。髪がとても重くて、不安定な靴のせいでふらふらする。膝の上までしかないスカートが今にも風でめくりあがるのではないかと心配になる。視線の高さもおかしい。
店に入るとレジにいた店員にじろじろと見られた。
車内にもどり、レタスサンドイッチをかじる。すごくおいしい。あっという間に全部平らげてしまった。
「さあ、いざネルフへ!」
あたりはすっかり暗く、車のとおりもまばらだった。青葉さんの運転する車は狭い路地をいくつも抜けて、ネルフへの緊急用で入り口を一つ一つチェックしていった。
「ここならいけそうね」
その言葉で車を降りた。ネルフの緊急で入り口は扉のある地下鉄入り口といったところで、出入り口のない緑色の金網で囲われていた。扉に書かれている文字は今もはっきりと読むことができた。
ネルフ非常用出口
ノースポイント3
関係者以外の使用を禁ず
青葉さんが体で隠しながら大きな鋏で金網を切って通れるだけの穴を作った。それをくぐって中に入り、葛城さんは首に下げたカードの束の一枚をチェッカーに通した。黄色と黒の縞模様の帯が二つに割れると、なるだけ素早くそこに飛び込む。
中に入ると真っ暗で、何一つ見えなかった。葛城さんがペンライトを灯して壁を探る。
葛城さんが手を触れると、壁の一部がスライドしてキーに刻印のないキーボードが飛び出てくる。海の中から見た日の光のような緑色の光を放っている。
「マギの稼動率を調べるわ」
制御版にキーを打ち込むたびに、明かりが少しずつ強くなり、まっすぐ直線に続く下り坂を照らした。カチと不機嫌な音がして、天井から奥から女の声がする。
(マギ臨時システム稼動。声紋認証を行います)
「葛城ミサト、司令部、階級三佐」
(認証完了。コマンド入力可能、その端末はコミッションレベル2です)
「システム稼働率を教えて」
(現在のシステム稼働率、メルキオール16%、バルタザール6%、カスパー1%、施設のカバー範囲は12%です。葛城三佐)
「マヤ、今のを聞いた?」
無線機から息吹さんが答えた。「聞こえました。思ったよりひどいですね。でもメルキオールが16%を意地していれば、どうにかなります。施設のカバー範囲のデータをこっちに送れるかどうか訊いて下さい」
ミサトが言うよりも早く、マギが答える。
(データ送信先の入力をどうぞ。伊吹三尉)
葛城さんは眉をへの字型に曲げた。「全部聞かれてる」
マヤがIPアドレスを告げると、マギは言い終わったと同時に回答する。
(その送信先は未登録です。伊吹三尉)
「やっぱりだめね。経路の決定はマギに任せるしかないわ。マギ、P6階層までの経路を計算してちょうだい」
マギはまた言い終わると同時に答えた。
(了解しました。ご案内します)
通路の床に緑の直線が灯り、私達はそれをたどって歩き出す。
丁字路に突き当たるまでマギとの会話を続けて、そこから分かったのは、10年前に戦略自衛隊がいかに施設を徹底的に破壊したということだった。
「ネルフ本部に入るのはなるだけ避けたいわ。あそこはひどい状態よ」
葛城さんが歩きつつ、次に使うカードを選び出しながら呟いた。
私は着いていくだけだけれど、機能性のない靴のせいでとても歩きづらい。私は洞木さんから預かった服に着替えるのを忘れてしまったことに気がついた。
なんとなしに碇君を振り返ってみる。彼は何も持っていない自由な両手を持て余して首の裏に手をやっている。私の視線に気がつくと「どうかしたの?」と言った。その言葉で全員が私を見たので、居心地が悪かった。
道案内のラインは廊下の先の丁字路で左に折れて、私達はそれにしたがって左へまがる。まったく同じ直線の通路が続いていた。
15分ほどで非常用通路は終わって通常通路と合流した。
その先にはエレベーターが待っていて、葛城さんはラミネート加工された白いカードを通す前に振り返った。
「ここから先は刺激が強いわよ」
「刺激って?」と碇君。
「ネルフ本部には死体がごろごろ転がってる。あそこは通りたくないけど、仕方ないわよね」
エレベーターは私たちを乗せると、勝手に動き出した。カゴを支える鉄筋が下から上へと流れ、急に途切れて真っ暗になった。よく見ると遥か下にぼんやりとネルフ本部の三角錐のシルエットが見える。その一角はもぎ取られたように欠けていた。
「明かりがほとんどついて無いのね」
(残存している自己発電機の99%はシステムの維持と修復のために使用しています。P6までのご案内に省力電灯を使うつもりはありませんのでご心配なく。葛城三佐)
「システムの修復状況はどうなの?」と別荘から伊吹さんが問いかける。
(不調です。8%まで修復させましたが、エネルギーソースが不足しています。伊吹三尉)
「外部から引いてこられないのか?」と青葉さん。
(外部との接続はエネルギー、通信を含め、すべて遮断されています。青葉二尉)
「10年間、自前で何とかやってきたってことか…」
地下の巨大な空洞の底に着いた。相変わらず明かりはほとんどなかったが、ガラス張りのエレベーターから漏れた光で、周囲の様子はある程度わかった。10年前、ネルフ本部の回りには人工の森や池、公園までが整備されていたが、森は光が当たらず全て枯れ果てている。
中継地点に来ると、カゴは停止して、ワイヤーが切り離され、空気圧で強化ガラスのチューブの中をネルフ本部にむけて進んだ。
「こりゃあ、化け物がいるなぁ・・・」
全員が黙って、近づいてくる三角錐の建物に目を向けている。暗闇の中では記憶よりもずっと巨大に見え、爆撃で廃墟と化した様子は、青葉さんの言うとおりだった。私はそんな風には思えなかったけれど。
青葉さんが言いながら持ってきたバッグから防毒マスクを取り出して私達に差し出した。
「毒ガス?」と碇君がマスクの口の部分から飛び出している空気ろ過装置をつかんで訊いた。
「10年放置された死体が、どんな匂いを放つか想像もつかないからな」
本部に近づくに連れてカゴは加速していく、建物の土台にあたる底部の壁が目前に迫ってきた。全員がこのまま扉が開かずに激突するんじゃないかと不安を感じたとき、扉に明かりが点灯して開き、カゴは吸い込まれていった。
カゴを降りてまずしたことは、周囲のチェックだった。エレベーター室に死体はなく私達がよく知っている状態に保たれていた。
「静かだね」碇君が不安げに言った。当時のネルフは昼夜の区別なく施設内放送が流れていたことをみんな思い出していた。
「マギ、案内をお願い」
マギは何も言わず、エレベーターの扉が閉まり、唸りを上げてカゴが引き返していく。
「マギ」
カチと音がして床に緑のラインが浮かび上がる。葛城さんはため息をついて、手首にはめていた輪ゴムで髪を一つに縛った。「行きましょう」
30メートルほど歩いたけれど、天井の照明は所々が切れるか割れているかしていて、これまでよりも暗かった。
この通路はそのまま進むとC4ブロック、エヴァの実験施設や修理を行っていた区域へと続くはずだったけれど、途中の扉の前で緑のラインが途切れていた。
「居住棟を通るのね」
葛城さんがカードの束をまさぐりながら私たちに言う。
「マスクをつけたほうが良さそうよ」
惣流さんの長い髪をマスクに納めるのに苦労していると、碇君が手伝ってくれた。こんなに髪を長くしたことは一度もないし、さらに誰かに支え持ってもらったこともないので、ひどく不自然な感覚、肌の下に血でないものが流れているような感覚に襲われる。
合金の扉が開くと、すぐに変化があった。床の上には無数の足跡がつき、無数の薬莢がころがっていた。
足を踏み入れ、バランスに注意しながら足跡を指でなぞる。血でついた足跡だった。
点滅する照明の下にたくさんの死体が転がっている。どれも干からびてネルフの制服がぶかぶかに見えた。
無言のまま歩き出してすぐに碇君が声を出した
「うぇ、なんだこれ」
床にたくさんの虫が死んでいる。その全部が蝿だった。
「こいつらの栄養が何だったか、考えたくもないな」マスクをつけたくぐもった声で青葉さんが苦々しく言った。
死体をよけながら居住棟への連絡通路を進むと、通路の果てにC4-5と描かれた扉が現れる。
それが軋みを上げて開くと、私達は目を奪われて立ちすくんだ。
そこは記憶の通り、職員たちのための休憩場所だった。10年前は何度もここを通ったし、利用もした。
ホテルのロビーに似た作りになっていて、テーブルを挟んで長椅子が向き合って並べられ、壁際には液晶テレビが設置されて民放の番組を流していた。実験が夜遅くまでになったとき、ここで碇君と惣流さんと一緒にドラマを見たことを思い出した。そのテレビは台から落ちて床に突っ伏し、粉々になった画面の欠片が飛び散っている。
天井の蛍光灯の寿命は全て尽きていたが、暗くはなかった。遠い側の壁に自動販売機があり、まだ生きていた。
商品のレプリカが陳列された部分から弱々しい光りが溢れている。かすかな機械音もした。しかし長くはもたないだろう。音はあえぎ声のようにかすれていた。
誰一人訪れないこの密閉された空間で10年間も唸り続けていたのかと思うと、私は始めて虚しさを感じた。
先に足を踏み入れた葛城さんが自動販売機へと向かっていく。私もその後を追った。
葛城さんは自動販売機の光りが床に薄い半円を描いている場所に立って足元を見下ろしている。
ミイラがうつぶせになって倒れている。灰色の制服、女のネルフ職員に間違いなかった。赤いベレー帽が白骨化した顔の大部分を覆っている。銃弾の苦痛に歪んでいたに違いない口は、今では骸骨が共通して持っている蔑みに似た嘲笑に変わっている。
青葉さんが無線機のスイッチを素早く切った。
「大井だ…」青葉さんが首を振った。「なんてこった」
「本当にかわいそうだけど、仕方ないことよ」
葛城さんはうつ伏せに倒れた死体が伸ばした手の先に落ちている小さなポーチを見つめている。ポーチは半分開いて化粧道具が半分はみだしていた。
「マヤを連れてこなくて良かったわ」
休憩室をあとにして青葉さんが言った。
「大井はまだ22歳だったんだ。大学を卒業してからネルフに来て3ヶ月だったのに」
葛城さんはそれに答えず、無線のスイッチを入れた「聞こえる?」
「聞こえますよ。そちらの様子は?」
「まあまあよ。居住棟を通ってる」
「こちらも特に異常なし、そちらの道程をマーキングしてます」
「アスカの様子は?」
「部屋にこもったままです。一度、トイレに出てきたみたいですけど」
碇君が私を見ている。昨夜のことを思い出しているのかもしれない。私には拷問みたいだったけど、碇君がそれで喜ぶなら、それでいいと思う。
私達は死体だらけの通路や、爆破された部屋、火炎放射器で真っ黒になったロビーをいくつも通り過ぎてやっと地下へ通じるエレベーターの前へ着いた。
「マギ、このままP6まで降りられる?」
(P4で一度乗り換えが必要です。葛城三佐)
「兵器開発層だ」碇君がマスクの位置を直した。
「青葉君、P4はあの時、かなり攻撃されていたわね?」
「ええ、職員用からエヴァ用まで全ての武器がありましたから」
「マギ、P4状況はどれくらい把握できてる?」
(カバー範囲0%です。P4はカスパーの担当です。カスパーは回答を返してきません。あらゆるシステムが統制外になっています。葛城三佐)
「道案内はできないってことね」
(P7まで来てください。そこからまたご案内できます)
P4に着き、エレベーターが開くと、完全な闇だった。全員にライトが渡された。みんなが歩き出す前に私はみんなを止めた。
洞木さんから預かったバッグを開いて、中からスニーカーを出して履き替える。
片方の靴を脱いだ時、バランスを失って倒れかけた。碇君が予期していてくれて、抱きとめてくれた。腕が私の体を支えた時、体を電気が通るような感覚がした。私は驚いて碇君の顔を見つめた。
「どうしたの?」困惑気味に碇君が訊いた。「何でもないわ」
この階層の破壊はひどくて、瓦礫が一面に散乱している。壁が崩れて隣の部屋とつながっていたり、天井の残骸が道をふさいでいたりした。
ここにも落下した柱や金属板の下敷きになった死体がいくつもあった。彼らはあの日、最後までここに残って初号機と二号機に兵装を与えて地上に送り出した人たちだ。彼らは戦略自衛隊の攻撃に抵抗して激しい戦闘を繰り広げていた。
エレベーターを諦めて階段を探したが、当時と景色がまったく変わってしまって、散々に迷った。
「日向君、聞こえる」
「聞こ…ます。そろそろ…届かなく…」
葛城さんが何度も繰り返して状況を伝え、何度も聞き返して階段の位置を割り出そうとした。
「エヴァ用武器庫に行ったほうがよさそうね」
その途中で始めて、行く手をベークラフトに阻まれた。血のような色をしたベークラフトが通路を完全に塞いでしまっている。
仕方なく迂回してエヴァ用の武器を上層に運搬するための巨大なリフトに出て、壁に設置されたタラップを渡る。
エヴァの武器を保存整備していた大きな空間に出ると、目の前に巨大なパレットガンの残骸が天井から鎖に吊るされていた。その銃先は固定具を外れて斜めになり、床に着いている。
ここはまともな状態を保っている設備は一つとしてなく、徹底的に破壊されていた。足の踏み場もないほど散乱した残骸を踏まないように慎重に進む。
隔離壁が行く手に立ちふさがった。この巨大な空間をふさぐ超大型の壁は味気ない極太の書体でG−4と書かれていた。
その文字は瓦礫した金属の爪に引っ掻かれて縦横に傷が走っている。爆破の後も残っていたが、壁は最高の強度の合金、アラチリウムの威力を発揮して破壊されずに持ちこたえていた。
「戦略自衛隊のやつら、この下まで破壊するつもりつもりだったんだな」
「最下層まで破壊するつもりだったのよ」
葛城さんが瓦礫を押しのけ、が拍手と同じ動作で手に付いた埃を払った。その音が出口を求めて私たちが来た道を引き返していく。
「でもこの先には進めなかったみたいね。ここで進入を食い止めたってことよ。この壁のシステムが死んでいたら、私達も引き返さなくちゃならなくなる」
私達は壁にもたれかかる瓦礫の山のくぐって制御板を探した。それは程なく見つかった。
装置のカバーを開けて、数字の刻印されたボタンを確かめながら葛城さんが祈るように言った。
「マルチキーで開くはず」
そう言ってボタンを手早く押した。けれど期待した轟音はおこらず、瓦礫が鈍い音を立てただけだった。
「死んでないとわかっただけで十分。にじり戸があるはずよ」
手分けをしてにじり戸を探す。碇君がようやく身を屈ませてやっと通れるぐらいの小さな扉を見つけた。
葛城さんがカードキーを通し、暗証番号を打ち込んでロックを解除し、扉のレバーを押し下げようとしたが、レバーは動かなかった。青葉さんと碇君が加わってもかすかな軋む音を立てただけだった。
「錆び付いてるのかな」碇君が手の甲でマスクの上から額を拭った。
「実力行使よ」
葛城さんが鉄パイプをもってきた。二度三度と殴りつけるとレバーは下に下がった。
「いよいよ潜入ね」
投げ捨てた鉄パイプががらがらと音を立てた。ひどく耳障りな音で、私は顔をしかめた。
無線で連絡を取ったが、ほとんど会話にならなかった。葛城さんは諦めて、マスクを外して頭を振って髪を落ち着けた。
「この先に死体はないわ。もうはずしていいわよ」
そこから先は破壊されていなかったけれど、電灯は一つもついていない。完全な闇の中をそれぞれが手にしているライトの丸い光りが交差しながら行く手を照らした。
「電気が着ていないのかな」碇君がライトを天井に向けた。
「ちょっと黙ってみて」と葛城さんが言った。全員が耳を澄ませると、何かが動作している唸り音がかすかに聞こえる。
「完全に断線しているわけでもないみたい」
通路の隔離壁は全て閉じられていて、ロック解除のために時間が取られて歩みが遅くなった。ネルフに入ってからすでに2時間以上が経っている。
「あといくつ隔離壁があるんですか?」
8回目の足止めで、碇君が言った。
「ここは私達の担当区画じゃなかったから、よく分からないのよ」
葛城さんが先にドアをくぐった。
「まるで迷路みたいな場所ね」
「火薬が暴発した場合に備えて、武器ごとに区画が割り当てられて保存されてたんです。だから小さな部屋が無数にある設計になってしまった」
私達はなんと無しにそこで立ち止まった。葛城さんがペットボトルに口をつけて、青葉さんに差し出した。青葉さんが断ると、碇君に向け、碇君は受け取った。
私は壁に寄りかかった3人の中で一人、立ったままこれまで来た道を振り返っていた。
「小休止ね。それで、この区画に関する他の情報はないの?」
「多少は。バンドを組んでた奴が武器担当でした」
「エヴァの?人間用の?」
「人間用のほう」
「この区画はまだエヴァ用の武器の区画よね?」
「そうでしょうね」
「それにしては通路が狭いわ」
「弾丸の保存庫なんですよきっと」
「行き止まりになって引き返すのは面倒ね。このまま抜けられればいいんだけど」
「ここを抜けたらP6まで一気に下れるんでしょうか?」
「ああ、マギに聞いておくべきだったわ」
「帰りのことも聞くべきだった」
葛城さんは首を振った「気がつかなかった。年はとりたくない。シンジ君、レイ、あなたたちは若いんだから、こういうことに気が付きなさい」
「そんなこといったって」と言い訳するシンジ君を無視して葛城さんは扉を開いて、奥を照らした。
「行きましょう」
「僕たちは施設の構造とか、ぜんぜん知らないんですよ」
「今のは知識うんぬんより、洞察力の問題なのよ。私達が持ってる知識だって、この有様じゃ大して意味が――」
そのとき天井が閃光を放って爆発した。
|