序 アスカ
子供の頃、わたしはひどい泣き虫で、ママを何度も困らせた。
ママは日系二世として標準的な信仰心を持っていて、日曜にはわたしを連れて教会へ行った。わたしは今では絶対に着ない、フリルがたっぷりついた服を着て、いつかのクリスマスに買ってもらった人形を抱えて、ママの運転する車に乗る。
教会の前では子供たちが白い湯気を吐きながら、つららを剣に見立てて切りあったり、掃き寄せられた雪山にお互いを突き飛ばそうとしてはしゃいでいた。
わたしは彼らと一緒にグレゴリオを歌い、この時しか会えない友人と話し、それからシスター達と話した。彼女達はママよりも一回りも年上で、とても優しく、子供向けの話題も豊富に取り揃えていた。
ママには決して言えなかったけれど、わたしは彼女達に憧れていた。シスターという職にではなく、自分がこういう人間になりたいと願う対象だった。
ミサが終わると、再びママの運転で公園に行った。その頃のドイツは一年のほとんどが冬で、公園の木は寒さに強い針葉樹に植え替えられていた。公園の入り口のスタンドで、ママはコーヒーを、わたしは自分のお金でココアを買う。
それをすすりながら、遊歩道をぐるっと一周し、お決まりの深緑色のベンチに座る。ママはまだ三十代の若さで、どの角度から見ても美しかった。
ママとわたしはそこで、アメリカに帰った後のことについて話す。住む家のことや、週末の小旅行、乗る車や、わたしが学校で学ぶべき科目のこと。ママは娘に高レベル遺伝子分析学を学ばせたいと考えていた。ママの話では、それはわたしが十二歳になるまでには実現されるはずだった。
二人で時を忘れて話していると、世界は自分達を中心に回っているような気がした。あらゆる夢は成長の道の途中に用意されていて、手に入れるのは時間の問題のみのように思われた。
ママと夢と時間を共有できることが、何よりの楽しみだった。
毎週のミサが、半月に一度になったのは、彼女がエヴァの開発計画に参加してからで、半月に一度が三ヶ月になるのに、そう時間はかからなかった。その三ヶ月に一度の約束も結局、守られなかった。
大切な人とは、いつでも傍にいないと、すぐに距離が離れていってしまう。
自分の名前は忘れても、このことは忘れないと思う。
祖母が朝刊を持ってきて、テーブルの上に置いた。見出しは“この国の財政は気温よりひどい!”だった。わたしの目の前ではココアで満たされたカップから湯気が立っている。
祖母は朝刊を広げているだけで、ろくに読んでいないことは分かっていた。わたしも何一つ見ていない。濃すぎるココアの色が、昨日の葬儀で見たもの、参列者の黒いヘアネットや、墓土を棺桶にかける老人たちの汚れた手や、何より、ママを納めた棺の色を溶かして温めたように感じることだけを意識していた。
新聞から顔をだして「飲みなさい」と祖母が言った。目が腫れていて、濃いクマがそれを縁取っている。「昨日は眠れた?」
「ぐっすり」わたしは答えてカップを引き寄せた。
疲労と気疲れで、祖母は昼前にまた眠ってしまった。
わたしは着替えるためにクローゼットを開いた。ごてごてした服がたまらなく嫌に思え、一番シンプルなワンピースの上にダウンジャケットを着て外に出た。
市内を流れる川は凍結し、年上の子供たちがスケートで遊んでいた。橋の上では親か、単なる見物人が談笑している。
それを無視して渡り、視線を空に転じた。分厚い灰色の雲の下を黒い鳥の群れが飛んでいた。
羽の動きが見える近さから、点にしか見えない高さまで、無数に散らばった鳥たちを見つめていると、ざらざらしたヤスリで削られるように、心が冴えていくのを感じた。
長い時間をかけて市内を歩いて、墓地まで行った。
ママの墓碑の周囲には既に寒さに強い芝が植えられ、たくさんの花に囲まれていた。わたしは寒さに耐えながら、凍結した花のひとつひとつを見つめ、献花者の名前を覚えていった。

ネルフ――その頃はまだ前身のゲルヒン研究所。からの花束は墓碑の前、一番の場所に置かれていた。わたしはそれを墓碑の後ろへ放り投げてそこにしゃがんだ。
これからママを狂わせてしまったものに乗る訓練をすることが、奇妙に思えた。その頃はまだエヴァンゲリオンという名称も決まっておらず、単に“手に負えないもの”というコードネームで呼ばれていた。
そのパイロット候補として残ったのはわたしを含めて三名で、日本ではすでに訓練を始めているチルドレンがいることはママも知らなかったに違いない。
わたしは候補生のうちの三番目、つまりは候補生のさらに補欠だった。世界には狂気の世界に踏み込んでいる天才がいて、この二人もそういう人種とみて間違いなかった。
わたしはママを狂わせたものを乗りこなすことで、ママに復讐しようと心に誓った。
気がつくと、祖母の通報でわたしを探しに来た、管理人が後ろに立っていた。
祖母はわたしを叱らなかった。帰りのタクシーで、彼女はどうやって墓地まで行ったのか? と質問した。
そこで初めて、わたしは場所も知らない、十キロも離れた場所まで歩いたということに気がついた。
祖母はそれを奇跡と言った。わたしもそうだろうと思う。
翌日から、起きている時間は全て勉強に費やすようになった。“学ぶこと。賢くなること”それはその言葉の意味を超えて、呪いか、束縛鎖のように、わたしの存在を絡めとり、あらゆる心の動きを封じた。祖母は気味悪がって、本気で霊媒師を呼ぼうかと考えていたらしい。
三年後にはゲーデルの不完全性定理を説明でき、独、英、仏、日の四ヶ国語を話し、量子力学の夢を見る天才少女ができあがっていた。
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