一万倍

 夢の中で、僕たちはエントリープラグが待ち受ける部屋へと歩いていった。アスカが前を歩き、僕とカヲルか、トウジと思われる男が並んで続き、最後にレイがいた。
 廊下の天井から殺菌剤のシャワーが吹き出して僕たちをずぶ濡れにすると、行く手の扉が開いた。
 三本のエントリープラグが斜めになって部屋を横切っていて、階段式のタラップが開け放たれた操縦席へと設置されている。
 アスカは振り返らずに手前のプラグへと乗り込み、立ち止まった僕をレイが追い越して一番奥のプラグへ乗った。
 一緒に乗るしかないのかな。僕は隣の男にそう言った。指令室への無線は死んでいるという確信があり、指示は受けられそうになかった。
 男は、カヲルのように見えたが、やはりトウジのようにも、加持のようにも見えた。その存在は、新しいのがすぐに届くよ。と言った。
 僕と男は二人で操縦席に入った。敵がすぐ目の前にいたが、男は僕の操縦の邪魔をするばかりだった。
 敵の光線が機体の胸に命中して衝撃が体を突き抜けた。僕がもがき苦しんでいるのに男は平気で、ただ僕を見下ろすばかりだった。とてつもなく不公平だと僕は思った。
 新しいのが来るまでがんばるんだ。男は言って操縦席のハッチを開き、僕を外へ追い出した。
 僕は機体にしがみついた。地上まで何十メートルもあり、ビルの屋上の貯水タンクが遥か下に見えた。
 白いクッションでできたような敵がアスカの機体に腕を振り落とし、頭部が胴の中にめり込んで血飛沫を上げながら倒れた。レイの機体が突撃していったが、敵に触れる前に何かにぶつかって爆発した。
 僕を操縦席から追い出した男が、待つんだ。と繰り返した。敵は機体を無視して僕を狙ってせまって来た。何とかしてよ。と僕は叫んだ。電気に打たれたような衝撃が走って僕は機体から滑り落ちた。
 内蔵が浮き上がるような感触を受けながら、僕は宙を滑り落ちていく。とにかく、君は待つんだ。男はそう言い続けていた。


 僕は目を覚ました、夢はとっくに終わっていて、寝返りをうったわけでもなかった、睡眠の糸が音もなく切れたような目覚めだった。
 雪の降る音がかすかにしていて、やっと光りと呼べる程度の薄青い光りが部屋を満たしていた。
 僕は上半身を越こした。アスカはベッドから起き上がり、胡坐を崩した姿勢でこちらを見ていた。眠っている僕をどれくらいの間、観察していたんだろう。まるで5歳児が始めてミッキーマウスを見た時のような顔をしている。
 僕は床の上からベッドを見上げて見詰め合った。僕が話しかけようと息を吸い込むと、彼女は素早い動きで人差し指を唇の前にもっていった。
 まるで僕という存在を観察するためのパートナーに僕を選び、その僕をたしなめるような動きだった。
 その瞳から目をそらすと何かが終わってしまう気がした。
 僕は再び冷え始めた空気を吸い込んだ、アスカはまた魔法の仕草で僕を黙らせようとした、僕はやめなかった。
「関係ないんだ。何もかも」
魔法を跳ね返された妖精のようにアスカの動きが止まった。吸い込まれそうな瞳の色がますます濃くなった。
「また会いに来るよ」
彼女の瞳の奥で感情が動いたのが分かった。僕は彼女から目を離したが、すぐに引き戻された。
 瞳が一瞬、光りを集めたかと思うと、涙が頬を伝っていった。最初の一滴が毛布に落ちると、あとは洪水のように溢れてきた。
 水滴は滝のように落ちて毛布に当たって音を立てた。僕は人がこんなにたくさんの涙を流すのを始めて見た。
 彼女の顔に表情が現れた。その感情を形容する言葉は思いつかなかった。僕はベッドにあがるために、前かがみになりベッドの縁に手をかけた。
 アスカが身を乗り出し、手が伸びて僕の首の後ろにまわされ、奪い取るように自分の方へ引き寄せた。僕の目の前はアスカの髪でいっぱいになった。息遣いが感じられ、彼女が何か言おうとしているのだと分かった。僕には彼女が何を言おうとしているのか分かる。
「バカ かな」
彼女の手が僕の背中を叩いた。僕を取り囲んでいた罪に精算の印を捺すように。


 機体が浮き上がり、僕はドイツを飛び立った。雲ひとつない空へ舞い上がり、高度を上げながら大鷹のように中空を旋回する。正面のモニターでは救命道具の使い方を教える放送が流れ、隣では出張以外の何物でもないサラリーマンが免税カタログの記事を読み耽っている。
 窓から外を眺める。ミニチュアのような町並みを覆った雪が水面のようにきらめいていた。
 突如、僕の頭の中にそれらの光りを全て集めたような閃光が走った。
 僕はレイ・ブラッドベリの霧笛で老いた灯台守が百万年生きた恐竜の生き残りに呟いた言葉を思い出した。

決して戻らぬ者をいつまでも待ち続けること。愛される以上にいつも何かを愛すこと。そしてしばらく経つとその愛する相手をほろぼしたくなる。ほろぼしてしまえば、二度と傷つかなくてすむ。それが人生というもんだ

日本に帰るべき家はなかった。ドイツが日本より一万倍も良いところかどうか、これから分かるだろう。

一万倍 完