| ー事故ー 「何も見えないわ」 雪はまるで一枚の板になったようにフロントガラスにぶつかってきた。降り積もろうとする雪をワイパーが必死に払いのけている。 それも次第にワイパーの届く範囲だけになり、それ以外には分厚い雪がのしかかった。日本製のSUV車は4輪で雪を踏みしめながらあえぐように前へ進んだ。 「ホバリングにしなくて正解だった」 シンジはハンドルを握って僅かな視界に目を固定していた。ワイパーが作る狭い空間に上空で一塊に癒着した雪の塊が音を立ててぶつかってくる。 「どれくらい来たの?」 アスカがダッシュボードを開いて地図を膝の上に置いて開きながら訊いた。 「わからない。走行メーターをゼロに戻すのを忘れたんだ」 「本当に間抜けね。何も変わってない」 「日本では普通、ゼロに戻ってるんだよ」 「ここは日本じゃないわよ」 アスカは指で今走っているアウトバーンを指でなぞった。 「夜明けにはつくかしら・・・引き返した方がいいかも知れないわ」 「それはダメだ」 きっぱりと否定されると、アスカは地図から手を離して顔をこちらにぐっと近づけてきた。 「あなたね。このままじゃ本当に・・・」 言いかけたとき反対車線が閃いて、砂場の山のように雪を積んだ大きなトラックが通り過ぎた。その風に煽られて、SUVはシンジが思うのとは逆の方向に滑った。アスカはドアの上の手すりをつかんだ。地図が足元に落ちた。 「凍結しきってる」 「あなた、雪道を走った経験ある?」 「ほとんどないよ。あったとしても、この雪じゃ何の役にも立たない」 アスカは目を細めて心配げにこちらを見ていた。気を取り直して足元の地図を拾い上げて膝の上に置いた。 そのトラックが最後にすれ違った車になった。それから一時間、一台の対向車もなければ、追い越していく車もなかった。路肩にはすでに人の身長を越えるほど雪が積もっていて、黄色いランプの光がそれを照らしている。 無人の道をSUVはいつまでも走り続けた。すでに中央分離帯も標識も雪に犯されて全てが真っ白になっていた。轍もどんどん薄くなり、SUVの前を最後に走ったらしい車の跡を残すのみになっている。 「今、何キロ?」 「だからわからないんだ」 「そうじゃなくて、速度よ。走行速度」 アスカは苛立って言い、シンジが七十キロと答えると「じゃあ、二百八十キロぐらいね」と呟いた。それから指で縮尺の距離を取ってアウトバーンを示す線の上に重ねた。 「まだ相当あるわね」 くそう、とシンジは目前から目を反らすこともできずに言った。かすかな摩擦しか伝わってこないハンドルを握る手に力が入る。 「次の出口で降りよう。ここはダメだ」 「そうして」 アスカは手でサイドウインドのガラスを拭いた。目の前に雪の壁が見えた。 「伝えたいことって何?」 「今は無理だ」 「ここにも監視カメラ?オーヴィス社も日本政府の手先っていうの?」 「違うんだ・・・運転に・・・集中させてくれ」 一気に言葉を吐き出そうと大きく息を吸い込んで、アスカは言葉を飲み込んだ。シンジの表情には余裕がなかった。吸い込んだ空気をため息で吐き出した。 「あなた、変わったわね」 「どういう風に」 「その言い方と図体よ。身長は何センチあるの?」 「177センチ」 「ずいぶんと大きくなったのね」 「君は知らないだろうけど、高校に入ってから急に伸びたんだ。」 「その口調は?それも高校に入ってから?」 「さあ、それは分からないな」 「同じことを言われない?」 「初めて言われたよ」 「その変わり様に気が付いてくれる友達すらいないのね」 いるわけないだろう。とシンジは一瞬だけ助手席を見た。咎めるような目つきだった。 「こんな仕事だからね」 「いつから、朝と昼で違う顔のスパイダーマンになったの?」 「高校を中退してから。加地さんを思い出すかい?」 「バカじゃない?」 アスカは口に苦いものを突っ込まれたように言って顔を背けて、窓に映る自分と視線を合わせた。 「加持さんというよりも、碇指令・・・あなたのお父さんを思い出すわ」 ヒーターが唸りをあげて一層熱い息を吐き出しはじめる。オーディオの上のデジタル時計が動いて午前一時二十八分を表示した。 「それは言って欲しくないね」 「私の神経はこれでもかってほど逆撫でするけど、自分がされると怒るのね。そういうところが似てるのよ」 「父さんは死んだんだ」 「知ってるわよ。そんなこと」 それまで緩い上り坂だった道が終わって、ほぼ同じ傾斜の下り坂となった。シンジはオートマチックのギアを一つ落としてエンジンブレーキをかけた。 「凍結がひどい。このまま滑っていきそうだ」 「そろそろ、出口があるみたい」 アスカは緑色の標識を見つめながら言った。上空はステージの紙ふぶきのように雪が舞い散っている。突風が車体にぶつかる音がして、アスカはとっさにハンドルをつかんだ。 タイヤは氷結したアスファルトに必死に爪を立てていたが、それでも車体はゆっくりと風下へ流される。タイヤがずりずりと空回りする振動がハンドルを通して伝わった。 坂の傾斜は進むほどにきつくなってきた。シンジは自分の歯がタイヤになったような気持ちで歯をくいしばった。 アスカは助手席ハンドルを握ったまま身を硬くしてスリップに備える体勢を取った。車は出口を求めて少しずつ路肩に寄った。 「十三年ぶりの再会にふさわしい素敵なドライブね」 その声が打って変わって神妙だったので、シンジは前方から目をそらしてアスカの表情を見た。 「俺だってこんな風に・・・」 前!とアスカが突然に叫び、シンジは道路に目を戻した。目の前に現れた物を咄嗟には理解できなかった。 スリップで激突事故を起こした乗用車と、中央分離帯に激突して大破したトラックが道をふさいでいた。狼が牙をむくようにトラックは配管をむき出しにした腹をこちらに向けている。 「Bremze!(ブレーキ!)」 その言葉よりも早くシンジは左手で雪をかぶっている乗用車の方向へハンドルを切ってブレーキを踏んだ。車は地面との摩擦を完全に失い、逆に加速しながら配管が折れて剣山のように飛び出したトラックの腹へと突っ込んでいく。 アスカの目が大きく見開かれた。折れた配管の一つが猛スピードでこちらにせまってくる。 アスカが絶叫したと同時に配管はフロントガラスを突き破った。轟音と共にガラスが派手に飛び散って頭上に降り注いできた。 ガスの爆発音を伴ってエアバックが膨らみ視界を奪った。そして激しい激突の衝撃で大きく体を揺さぶられる。 ホンダのSUVはフロントを大破させながら跳ね返った。運転席と助手席の間を突き抜けた配管が軋む音を立てて車内から去っていき、今度は背後から蹴り飛ばされたような衝撃が襲ってきた。 車はピンボールの玉のようにトラックと中央分離帯と、ガードレールに何度かぶつかった後でようやく止まった。 アスカはうめき声をあげて瞼を開いた。体がまったく言うことをきかなかった。 「シンジ」やっと首だけ動かして運転席を見た。 運転席の右前部分が大破して大きく内側にひしゃげていた。ねじまがった天井部分に右の頬を押し付けられるようにして、シンジが力なくうなだれていた。 何か言おうとしてアスカは肩を走った激痛に苦痛の呻きをもらした。シンジの黒髪の下から黒っぽい血がもみ上げを伝って姿を現した。血はもみ上げから顎へと伝わり、そこでぽたぽたと垂れた。 エンジンは心臓病にかかったように不規則な鼓動を繰り返して、次第に音を弱めていった。アスカは激痛に耐えながら手を伸ばして左に傾いているシンジの肩を揺さぶった。何の反応もなかった。 「死んだら嫌よ」心の中でそう言ってもう一度、大きく揺すると首が動いた。 割れた窓ガラスから冷凍庫に百年もしまっておいたような凍えた風と雪が入り込んできた。 シンジがゆっくりとこちらに目を向けるまで、アスカは名前を呼び続けていた。 震える指が顎を伝う血をなすりとって、その赤黒い指先をしばらくうつろな目で見つめていたシンジが「死ななかった」と力なく言った。 シートベルトを外してから、しぼんでうなだれているエアバッグの残骸を脇に押しやった。運転席のエアバッグは動作していなかった。最初にフロントガラスを突き破った配管がエアバッグを収納しているハンドルを大きく押しのけていたのが原因だった。運転席のエアバッグはかつてクラクションがあった部分のブラスティックの隙間から僅かに見えているだけだった。 「シートベルトを外して」 二人は半分ほどになってしまった車内で身を動かした。先に外したアスカは窮屈そうに体を動かしているシンジを心配げに見つめた。パッキンが古くなった水道の蛇口のように血が滴り続けている。 「だめだ。挟まってる」 「私が外から手伝うわ」 「無理だ。ドアは開きそうにない」 運転席側の車体は大きくゆがんでいて、ドアが開かないことは一目瞭然だった。 シンジは体を精一杯傾けて苦痛の声を漏らした。カチンと鈎の外れる音がして、胸に当たっていたシートベルトがだらりと垂れ下がった。 「こっちにきて」 アスカはドアを開いて体を半分外に出して、両手をシンジに向けて広げた。 外皮を掻き切られて、中のクッションがむき出しになったシートに手をかけて、シンジはこちらに身を乗り出してきた。アスカは子供を抱っこするように、その両脇に手を差し入れてひっぱった。 二人はもつれるようにして車外に飛び出して倒れた。先にシンジが頭を押さえて立ち上がった。 アスカも立ち上がったが吹きすさぶ強風に体勢を崩した。それをシンジが抱きかかえた。あまりの冷気に目も耳も機能が低下して気が遠くなる。 「連絡を」 アスカは車内に上半身を入れると、足元のバッグを取り上げて中から携帯電話を出した。二つ折りの機体を開くと、液晶画面が消え入りそうに弱々しく光った。 通話ボタンを押すが、番号入力の画面になるまでに何秒かかった。救急の番号を押して耳にあてがう、その手が大きく震えていた。それは事故の衝撃が原因ではなく、身を切り裂くような寒さのためだった。 「ならないわ」 「寒さのせいだ」 シンジは後部座席においてあった荷物からマフラーを取ってきて、アスカの首に巻いた。携帯電話は氷のように冷たくなり、ついには電源すら消えた。 「頭は大丈夫?」 アスカがそっとシンジの髪に触れた。髪先についた血はすでに凍り始めてざらざらとしていた。 「ここから離れよう。このままだと凍死する」 シンジは目にまとわりつく雪に目を細めながら、あたりを見渡した。視界があるのはハロゲンランプの光が届く黄色い空間だけで、他は漆黒の闇であった。 「明かりを探すんだ」 アスカはコートの襟を合わせて見渡した。「シンジ。あっち」左手の方角にかすかな青い明かりがぼんやりと浮かんでいた。 「行こう」歩き出そうとしたアスカをシンジが止めた。 シンジはふらつきながら開け放たれた後部座席のドアからスーツケースを引っ張り出して地面においてからロックを外して開いた。 中身を荒っぽく散らかしながら、いくつかの中身をコートのポケットにしまい込んだ。 その間にアスカは路肩へと歩いて、看板を覆った雪を払い落とした『出口まで4キロ』と書いてあった。強風に髪の毛を乱されながらアスカは振り返った。シンジがこちらに向かって歩いてきた。 「顔が真っ青よ」 「貧血を起こしたようなんだ。くらくらする」 「出口までいけば、ガソリンスタンドがあるかも」 二人は見えている紫色の光と、4キロ先の出口との間で迷った。 「どうするの」 「あちらにしよう」 シンジは暗闇に浮かんでいる青色の光を指差した。 「ただの街燈だったりしないかしら」 シンジは歩き出しながら呟いた。 「正直、4キロも歩けそうにないんだ」 二人は、ガードレールを心棒に小山のようになっている雪山の前に立った。腰を支えられてアスカが一歩を踏み出すと、ブーツの半ばまで埋まった。 何度も足を取られて倒れながら、ようやく反対側まで降りた。「シンジ」まだ道路側にいるシンジに呼びかけたが、何の反応もない。今度は大きい声で名を呼んだがやはり反応がなかった。 気を失ったシンジが雪山に倒れている悪夢で背筋に戦慄が走った。 「シンジ、どうしたの?早く」 耳を済ませても風が耳を打つ音しかしない。意を決して戻ろうと一歩を踏み出した時、ずっと右手の頂上にシンジが現れた。 「これをとりに行ってたんだ」 コートのポケットから鉄製のスパナが半分はみだしていた。 「頭の傷はどう?痛む」 「何も感じない」 「これを巻いて」アスカはマフラーを外した。 「君がしていたほうがいい」 「私にはこれがあるもの」 そう言って、長いストレートの髪を首に巻いた。「ありがとう」シンジはタータンチェックのマフラーを頭に巻いた。 平原なのか、畑なのかもわからないなだらかな下り坂の雪原の果てに浮かんでいる明かりに向かって、二人は歩き出した。 さえぎる物のない雪原に風が竜巻のように渦巻いて、雪を吹き上げている。すさまじい寒さのために二人の歯ががちがちと鳴った。 ハロゲンランプの光が届かなくなり、あたりは真っ暗になった。アスカは足元に集中しながら、このまま死んだらどうなるだろうかと思った。十三年ぶりに出会った男と、氷付けになって死んでいたらベルリンの同僚たちはどう思うだろうか。 きっと愛する男と駆け落ちした末に不幸な事故にあって死んだと信じて疑わないだろう。そんな死に方を自分は望んでいたような気がする。 人生に意味というものがあるなら、自分の人生の意味の殆ど全ては十三年前の出来事で終わってしまって、後は死ぬことだけが唯一のこされた目的のような気持ちで生きてきた。 あの青い光の下にあるのは、一体なんだろう。 立ち止まりうずくまってしまいたくなる衝動を必死に抑えてシンジを見た。彼は顎を突き出してまっすぐに前方を見詰めていた。くいしばった歯の隙間から出た息は瞬間に凍り付いて白い煙になっていた。 「歩け、がんばれ」 遠のく意識がその横顔に少年だった頃のベールをかぶせた。痩せて優柔不断で、何事にも立ち止まって考え、その間に物事が先に進んでしまう不幸な少年――― 「だめ、歩けない」 アスカが歩みを止めた。シンジの手が赤いコートの肩にかかり、もう片方の手が腰に添えられた。次の瞬間、アスカの体は宙に持ち上げられた。 「無理よ。歩けるから」 シンジは答えずに顎を突き出し、必死にこらえて歩き出した。あの恐ろしい兵器の操縦席で、彼はこんな顔をしていたのだろうか。 抱きかかえられたまま上下に大きく揺さぶられながら、アスカは揺りかごに横たわった幼児のように目を閉じた。 どれほど歩いただろうか、アスカの体はゆっくりと雪の上に降りた。 「寝ちゃだめだ。ついた」 ゆっくりと目を開いて顔を傾けると、古い病院のようなガラスの扉が見えた。その前には低い石段があり、その脇には四角い石柱が対で立っていた。 施設名のプレートはすでにはがされていて、そこを青い光りが照らしている。その光りの中を大粒の雪が乱雑に行き交っている。 扉は内側から板でふさがれて中は見えなかった。四角いプラスティックをスチールで縁取ったドアノブには鎖がぐるぐる巻きに巻かれていた。「閉鎖中」とかかれた木板が鎖に通した縄に結わえ付けられていて、風でばたばたと暴れていた。 シンジは五段の石段を登って、ポケットのスパナを握るとガラス戸に手を添えた。訪問者に何を伝えていた板が張ってあったらしい場所には、接着剤の跡が四角く残っていた。 スパナを振り落とすと、鈍い音と共に雲の巣のようにヒビが走った。もう一度振り落とされると、音を立てて割れた。シンジは靴の裏で板を蹴破り、スパナで穴を広げた。 「入って。早く」 二人は転がるように割れた隙間から中に入った。 外の吹雪が嘘のように静まり返った中で、二人はしばらく呆然と座っていた。中も冷え切っていたが、風がないだけで、温度は五度もあがったように思えた。 シンジは板を元通りに直して、あたりを見渡した。 そこは病院というよりも何かの施設だった。すぐ目の前に二人詰めの受付が見えて、その左右にリノリウムの床の廊下が続いている。廊下の脇には会議室のような小部屋が並び、そのいくつかの扉は半開きになっていた。その奥は黒を凝縮したような濃い暗闇になっている。シンジが受付けの中に入って、そこにあった緑色の受話器を耳に当てた。 「だめだ、電気が通ってない」 「何の施設かしら」 アスカはロシア帽を脱いだ。雪が一面にこびりついて固まった表面を手で叩いた。 「何だっていい」 引き出しを順番に開きながらシンジはもう一度あたりを見渡した。壁沿いに客が待つためのソファが置いてあり、その脇で鉢植えの観葉植物が立ち枯れていた。 「外よりだいぶましだけど、このままだとやっぱり凍え死ぬよ」 アスカはバッグから携帯電話を取り出した。開くと継ぎ目がバリバリと音を立てた。 「ライターかマッチがないか」 アスカは帽子を手に取ったまま立ち上がった。そこで肩の痛みが再発しているのに気が付いた。「だめだ、そう都合よくは無いな」 二人は会議室を手前から順番に見て回った。どの部屋も同じ細長い会議室用のテーブルが中央にあり、椅子は化石になったようにきちんと並んでいた。まったく荒らされた様子はない。 外の光がぎりぎり届く場所までくると、廊下はそこで終わって左右に分かれていた。正面の壁には矢印の描かれたプラスティック板が貼り付けてあり、右側がトイレで左が資料室と書いてあった。 ためらうアスカを置いてシンジは奥まで歩いていった。そのまま曲がるかと思ったが、そこで立ち止まり、左右を見渡して「真っ暗だ」と言った。 頭を振りながら戻ってきて「携帯電話は?」と尋ねた。アスカが携帯電話を渡すとアライグマが餌を洗う直前の動作のように、両手で暖めてからボタンを押した。僅かな光が血の凍った顔を照らした。 満足そうにうなずいてからこちらを向いて微笑んだ「行ってくる」そういい残して、エクソシストが悪霊を前に十字架を突きつけるように、かすかな光で道を照らして、奥へと消えた。 アスカは耳を澄ましてシンジの足音を聞いた。足音は遠のいていき、ある地点で止まると、蝶番の錆びた扉を開く重い音がした。バケツががたがたと揺れる音がしたと思うと、足跡が近づいてきて、ほっと胸をなでおろした。 姿を現したシンジの手にはスチールタワシが一つ握られていた。 「どうするの?」 「これで火を起こす」 二人は入り口まで戻ってきた。蹴破った板が風で揺れ、そこから侵入した雪が床に薄くつもっていた。 「燃えそうなものを集めて」 シンジは受付に入って、引き出しを開けながら言った。アスカはソファの隣のコカコーラの自動販売機に張ってある「販売中止」とかかれたボール紙をはがし、枯れた観葉植物の枝を折った。他に燃えそうなものはなかった。 「二番目の会議室に紙があった」 会議室の奥の床にあった封を開いていない印刷紙を抱えて戻ってくると、シンジは扉の前でしゃがみこんでいた。その手には赤いマグネシウムの電池とスチールウールを解いて一本にした線が握られていた。 乾電池二本を並列につないで、その両端をスチールウールでつなぐと、線の中央が僅かに赤みを帯びてきた。そこに枯葉をあてがうと、すぐに白い煙が立ち昇り始める。枯葉の先に小さな火が灯ると、辺りは一気に明るくなった。種火を紙に移して、観葉植物を折った薪をくべると、あっという間に小さな暖炉となった。 二人はそこでしばらく暖を取った。赤い火の舌が生き物のように薪を炭に変えていくのを見つめていると、体が温まってきた。アスカは激しい眠気を感じて座っているのも億劫になった。目を閉じていると自然と隣のシンジの肩に頬を乗せていた。 「もう眠っても大丈夫でしょ」 「大丈夫」 「ものすごい一日だったわ。こんなこと、毎日していたの?」 「まさか、今日は記念すべきサバイバルの日だよ」 「そう・・・あなた、変わったね。私は何も変わってないけど」 シンジが紙を丸めて火に投げ入れると、顔に染みるような温もりを感じた。 「もう、バカシンジとは呼べないね。英雄シンジ様々かな」 「どっちも人前でそういう風に呼ばないでくれ」 「なら二人の時はそう呼ぶわ」 シンジが答えたのか黙っていたのか、分からなかった。ただ足の先まで感覚が戻ったことに気が付いて、アスカは何の心配もなく睡魔に身をゆだねて眠った。 |